サディスティックメイト《三織》

サディスティックメイト特別読み切り:三織編

かつて異常者が探したもの

触れるほどに枯れていく
尽くすほどに死んでいく

愛でるほどに奪ってしまう
皮肉な手を持ちながら
永遠に探し続ける虚無を歩む

この世にはいないのだと
漠然と悟った微笑みさえ
無情な世界は見向きもしない

欲するものはひとつだけ

オレはただ、愛し続けたかった

紛争地。
砲弾が飛び交い、街が瓦礫に変わり、人の価値が底辺の世界。
昼間。どこかの部隊が制圧を成し遂げたのか、爆撃が止んだ粉塵の中、その男は何かを物色するように歩いていた。

「どこもかしこもひでぇな」

色のない世界。
雲一つない空だけがどこまでも青を見せ、大地の色を混ぜたかつて家と呼ばれる空間たちが虚無を運んでいる。逃げられなかった人、戻って来た人、誰かを待つ人、理由は様々あるだろう。そこがどんな状況であれ、居場所を捨てられない人々は点在し、その心に負った傷を抱えながらなんとか息を保っている。

「お兄さん、誰かを探してるの?」

瓦礫の壁にもたれて座っていた女が、光のない瞳で目の前の靴に喋りかける。
自然に見上げたその視界には何も映っていない。空も街も色も、自分を見下ろす端整な男の顔さえも。

「んー、オレ?」

「そう、お兄さん」

かすれた声は、ぼろ布をまとった女から発せられているらしい。女はそのまま手を出して、金を要求する代わりの対価として探し物を見つけるとでも言いたげだった。

「んー、ちょっと見つかるかなぁと思って」

「なにが?」

「モルモット」

想定していた答えとは明らかに違ったのだろう。女はそこで初めて視界に男を映したように表情を変えた。
てっきり人間を探していると思っていたのに、得体のしれないペットを探すとなると話は変わる。適当に見繕うことも出来ない内容に、金を求めるようにあげたままの手が固まっていた。

「ちょうど可愛がってたのがいなくなったから、次を探してるんだ」

まるで当然のような会話の運びに、女の方が面食らったのは言うまでもない。

「こういう状況で生き延びる子は生命力が強いかなって。まあ、都会育ちでも田舎育ちでもオレが溺愛するとみんな早死にしちゃうんだけどね」

何がおかしいのか。色のない世界で虚無を抱えて生きているのはコチラ側だというのに、男の方が言い様のない悲しみを抱いているような錯覚に溺れそうになる。綺麗な姿で笑っているのに、五体満足で笑っているのに、笑ったあとで空を見上げたその横顔が泣いているように見える。

「あたしを殺して」

女は単純にそう思ったのか、空気に流されてそう答えたのか。
本人でも自覚していない言葉を男に向かって吐き出していた。
男の視線が空からまた地面に戻る。空の青を宿したのか、凍てつくほど冷めた色で男は女にニコリとほほ笑む。

「それは結果論で、殺したいわけじゃないんだよ。出来ることならずっと生きててほしいわけ」

「あたしは候補に入らない?」

「いいけど、たぶん後悔することになると思うよ?」

頭のどこかで「そうかもしれない」という感覚が腑に落ちてくる。すべてが灰に変わろうとしている残酷な世界の片隅で、これ以上の悲劇はないと思っているのに、まだ知らない驚愕の世界があるのかもしれないと漠然と想起させられる。
近付いてはいけない人種。
けれど、たぶん、きっと。このまま訪れる未来との天秤にはかけられない。

「ここで野垂れ死ぬより、お兄さんに殺されたい」

「最初はみんなそう言うんだよ。だけど、さ。ほら。オレだって死神になりたいわけじゃないんだよね」

「嘘つき」

「嘘じゃないって」

ようやく興味がわいたのか、男はしゃがんで目線を合わせる。
まともに向かい合ってみれば、本当に端整な顔立ちと人懐こい雰囲気が相まって、男を幾分か幼くみせた。

「どこがより絶望に近いかなんて体験してみなきゃわからないって」

よしよしと、男は女を慰めるように頭を撫でる。大きな手のひら、意外と筋肉質な腕。やはり身なりは違えど、軍関係の人間だろうと理解する。数日鍛えただけではない骨ばった指は、細身の外見からは想像しにくい裸体を服の下に隠していることだろう。

「人間、辞めたいわけじゃないんでしょ?」

質問の意味が理解できないまま、聞き返す時間も男はくれないらしい。
飽きたように立ち上がって背中を向いて去っていくその後姿を、女は衝動に駆られたように追いかけていた。

「それでもついてくるなら、モルモットとして可愛がってあげる」

女は変な胸の高鳴りを感じながら、強制でも無理矢理でもなくついていく足に従う。瓦礫を越え、道を曲がり、物騒な銃器や戦車の合間を抜け、やがて見えてきたのは灰色の居城とでもいうべき明らかな異質。

「はい、じゃあまずそれつけて」

変わった空気の境界線に怖気づいた神経が後退しようとしたそのとき、女の腕を初めて掴んだ男は、その手首に了承も得ないまま何かの帯を取り付ける。手首を一周する太い帯は、ピッという聞きなれない電子音をあげて、女の腕に巻き付いていた。

「大丈夫大丈夫、逃げようとしたら薬が注入されて即死するだけだから」

それは、笑って吐き出せる言葉なのだろうか。

「一応、オレ。軍でそれなりに重要なところにいるからさ、情報漏洩はダメでしょ」

背中に駆け抜けた悪寒に、腕を振り払おうとしてもびくともしない。疲弊しきった女と勝利した軍の関係者。たとえ女が元気だったとしても勝敗は決まっている。

「こっちね」

男はそんな女の反応すらどこか楽しんでいるように内部に進んでいく。
清潔な廊下。電気の供給が行き届いているのか、窓のない廊下でも明るく照らし出された空間が、先ほどまで見ていた世界とあまりにも違いすぎる。

「ああ、そういう場所見ない方がいいよ。お友達とかいた場合、ややこしいことになるから」

途中、聞いたことのないうめき声を聞いたような気がして立ち止まりかけた足を、やはり男は気にせず進んでいく。頭のどこかと言わず、全身が微かに震えていることに女は気づいていた。だけど、異常すぎる正常に理解が追い付かない。もう本能は麻痺してしまったのだろう。
あの見えない空気の境界線を越えた時から。いや、男に声をかけたことが命の終わりの瞬間だったのかもしれない。

「さ、かわいこちゃんは全身洗って人間辞めよっか」

案内された部屋で、女はついていく人間を間違えたことを悟った。

「本当、女の子のそういう顔ってたまんないよね。いっぱい泣いて叫んでもいいからね。そうしてオレを興奮させて、生きてるって実感をちょうだい」

窓のない閉塞さが、異常の中でもより異常な部屋だと告げている。
唇の重なりは本当にキスと名をもつ行為と同じなのか。自我を失った女には、今更何を尋ねたところで答えなどもらえない。

「人間ってさ、本当にもろいよね。さじ加減間違えると簡単に壊れるし、面白みが一気になくなる」

つまらなさそうに壁に背を預けた男は、換気扇の音だけが響く室内で、かつて人間だったものを見つめていた。

「肥沃な大地に咲く花にオレは何も魅力を感じない。枯れて、ひび割れて、雨も降らない絶望的な状況で、もがいてもがいて咲こうとする花がたまらなく可愛いと思うし、咲かせたくないと思う。って、聞いてる?」

聞こえていないのではなく、聞いていない。
その事実を自分以外の他人は理解できずに、また受け止めきれずに去っていく。
どれだけ周囲が世界に立ち向かい、ねじ伏せ、手中に収める喜びに浸ろうと、男は変わらない異様さを持ち続けていた。戦争が終わった後も、本当は始まる前からずっと、繰り返し探し続けた切望は裁判官の前でも変わらない。

「オレの全力を受け止めれる子は、この世にはいないんだろうな」

頭の上に濡れた布が置かれ、拘束椅子の上で死ぬほどの電気を浴びせられても、男は退屈な人生を憂いていた。憂いて、憂いて、来世にでも期待するかと、ようやく肩の力を抜いた時、身体がふわりと浮く感覚に襲われた。
それが何かと聞かれても説明のしようはどこにもない。
ただ現状を理解しようと目をあけたそこに「大丈夫ですか?」と震える声があり、黄昏に染まる世界の中で初めて色のついた世界を見た気がした。
目が合って、漠然と理解する。

「ああ、やっと見つけた」

この心が探し求めた存在にようやく出会えたと思った。
それは感覚という曖昧なものでしかない。それでも全力で受け止めてくれるなら、絶望の中で咲かせようと誓う。
(完)