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打ち上げられた王子様(うばわれた人魚たちの栄光より)

2022-11-27

この作品は、2019年9月発行「うばわれた人魚たちの栄光」に収録されました。

打ち上げられた王子様

砂浜に打ち上げられた人の半身が魚だった場合、どう対処すればいいのだろう。

「え、なに?」

未知なる生物と遭遇したときの衝撃は計り知れないが、少女は好奇心の赴くままに、得体のしれないそれに恐る恐る近づいた。

「ひと?」

上半身が裸の男。押し寄せる波の中で下半身らしい尾ひれが揺られていることを視界にいれないでいるなら、大半の世の女性が騒ぎ立てる容姿を持つ男性が気を失って、打ち上げられている。文字通り浜に打ち上げられているその姿を別の言葉でなんというかわからないが、少女は困ったように顎に手を添えて、その半魚人を覗き込んだ。

「生きてる、の?」

気を失っているが、上下に動く肌が呼吸を物語っている。たしかに生きていると表現できるそれが正しいのかどうかはわからないが、少女は自分でも驚くことに、得体のしれない半魚の青年の唇に自身の唇を押し当てていた。なぜ、そうしたのかと聞かれても答えに困る。自然に何の疑いもなく、そうすることが当然のような流れに身を任せただけだが、唇を重ねて、波の音を数回聞いて、ぴくりと青年が動く気配をみせて初めて、少女は自分のしたことの愚かさに気づいたようにバッとそこから飛びのいた。

「ッ」

ニコリと笑みを浮かべる端整な唇に、思わず顔が熱く火照る。

「なるほど、キミが僕の伴侶になる娘か」

「は、い?」

何を言っているのかと耳を疑ったのも無理はない。少女は赤くなった顔を今度は青に変えて、不審でしかない美麗な半魚人を怪訝な顔で見つめる。

「僕は南の海域を支配する王族の王子でね。ほら、僕の祖先は地上の王子と結ばれた人魚姫を輩出しているから、代々、成人の日に海面に顔を出すっていう儀式が定着しているわけだけど、いや、驚いたな。まさかあの巨大な帆船に巻き込まれて気を失ったまま浜辺に打ち上げられるとは思わなかった」

参ったと言いながら、まったく困ってなさそうな口ぶりがますます不信感を煽ってくる。彼の半身が魚でなかったとしたらにわかに信じられない話だろう。

「普段であればあの海流くらいなんでもないんだよ」

落ち着き払った声で美麗な自称「王子人魚」は話を続ける。

「それに人間の王子に夢を見るのは人魚の王女くらいで、僕たち王子は海面で酒を飲んで楽しむのだけど、どうやら飲みすぎてしまったのが悪かった。まあ、それでもなんだ。まさか本当に人間の王女に出会えることになるとは思ってもみなかったから、これでも内心とても喜んでいる」

そこまで一気に言い切って、男はニコリと半身を海につけたまま少女に向かって微笑んだ。
一言で胡散臭い。顔にそのまま出てしまっていただろうが、少女は冷めた視線に熱を灯すまでもなく、「残念ながら、私は王女なんかじゃないわ」と言い放った。

「それほど美しいのに?」

「冗談はやめて。私は忌み嫌われているのよ。この生まれつき白い髪と海のように色を変える瞳のせいで」

そう口にするなり、傍目で見てもわかるほど少女は暗い影を落とす。
人間は外見の違うものを忌み嫌う。そういう風習が根付いていると少女はまるで他人事のように出会ったばかりの人魚に語っていた。。

「僕は一目でキミを愛してしまうほど、キミを美しいと思うよ」

「よくそんな恥ずかしいこと平気で言えるわね」

「人魚は一途なんだ」

「どうだか」

四六時中ニコニコとほほ笑まれていては、どこまで真剣で、どこまでが冗談なのか測りにくい。どうやら静かなのは意識を失っていた間だけだったようで、少女は心配を返せと言わんばかりにニコニコとほほ笑む王子を無表情で眺めていた。
銀色の鱗に鈍色の瞳。端整な顔立ちに均整のとれた肉体美。

「何はともあれ、僕はキミを伴侶とすることに決めた。さあ、僕と一緒に海の中で暮らそう」

人魚でなければ、あるいは少しくらい一緒に過ごせる未来が想像できたかもしれない。

「無理よ」

少女は海に浸かったままの美青年から興味をなくしたように立ち上がる。

「なぜ?」

「私は人間。海の中では息さえ出来ない」

足もあるしね、と。少女は白く伸びた長い足を王子へと見せつけた。棒のように細く、砂のように白い。人魚とは違う人間の足。

「問題ない」

「え?」

「僕と一緒に海で暮らそう」

両手を広げて勧誘してくるその腕に甘えるように飛び込めたらどれほど幸せな話だろうか。胡散臭い雰囲気を脇によけたとしても、望んでくれる存在に心が浮かないわけはない。

「ああ、ちょっと、大変だ大変だよ。人魚だ、人魚がいるよ」

「なんだって、災厄が来る。早く追い払え」

「みんな急いで来てくれ」

王子に手を伸ばしかけていた少女の背後で甲高い金切り声を筆頭にざわざわと人が集まってくる声が聞こえてくる。

「行って」

「でも――」

その時、まるで海が荒れるように波が砂浜に押し寄せ始めた。

「――くっ。あ、ちょっと待って、父さん。まだ彼女が」

「私のことはいいから、早く行って」

腕を伸ばす王子でも荒ぶる波の中ではうまく泳ぐことが出来ないらしい。真意は定かではないが、王子の身の危険を察知した海が故意的に引き起こしている荒業だろう。押しては引く波にさらわれるように遠のいていく姿に、少女はどこかホッと安堵の息を吐いて見送っていた。

「白髪の忌み子が人魚と喋ってる。やはりあの子は呪われた子だ」

背後では聞きなれた声がきんきんと叫んでいる。
荒れた海と白髪の少女を見比べるように見下ろしてくるその瞳は、畏怖を携えて少女の名前を呼んでいた。(完)

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