定期的に「ヒロインが可哀想」という声を頂戴する件について

自分語りが長くなりそうなので、久しぶりにブログという形で昇華してみる。
うん。速攻本題に入ろうと思う。

送ってくださる方は違えど、定期的に「ヒロインが可哀想」という声を頂戴する。
答えから述べさせていただくと「は、どこが?」の一言に尽きるのですが、私も良識ある大人なので「(そう感じられましたかー、見方によってはそう見えるかもしれませんね。可哀想ですか、でもそこがいいん)ですよねー」と返事をするようにしている。

はっきり言って、私は自分が歪んだ性癖の持ち主であると知っている。
知っていて書いている。現実にどうされたい、こうされたいとか、そういう話ではない。
小説とか物語を書くにあたり、妄想は確かに必要不可欠だけど、それが必ずしもそのまま反映されているかといえばそうではない。

現実的な世界で、可哀想な子は「いない」がいいに決まってる。
泣いている女の子がいたら心配になるし、酷いことをされた女の子をみると憤りを持つし、相手に対して同じ人間かと吐き気も嫌悪もする。
でも一方で、可哀想な子が「いない」という現実を知っている。
そこが私の妄想の起点になるのかもしれない。女として傷つかなかった人生を送ってこれた人は、どれくらいで済むのだろう。現実は残酷で無慈悲だと知っている。

そこで、生まれる「もしも」が私の作品に繋がっているのかもしれない。知らんけど。
だって、そんなに深く考えて書いていない。
酷いことをされる一方で「愛」を免罪符に「欲」を与えられいるのなら、享受してしまう女の子だって幸せになる未来があるかもしれない。いや、行き過ぎた愛で囲われるのが好き。
そう、単純に大好物。
飼われて欲しい。ペットみたいに。お世話されてほしい。食べ物から、着るものから、排泄管理まで全部やってほしい。
「存在が癒し」というのが女の子が存在する理由なのでは?
可愛いのがいけないのでは?
クソ可愛いが天元突破して潰れるほど抱かれろ。というのがきっと、私の作品です。

だからヒロインは、思う存分、そんな彼らに振り回されてほしいし、人生をぐちゃぐちゃにされてほしい。
意思なんか必要ない。飼い主を悦ばせるために尻尾を振って、この世にその人がいないと生きていけないくらいに甘やかしてもらって、育ててもらって、依存してくれ。お互いに。

そんな歪んだ愛を書きたいし、そんな歪んだ愛への道筋を残したい。
だから、健全な「甘々カップル」を望む人には、私の作品は向かない。世の中、そんな作品ごろごろしてるんだから、きゃっきゃうふふは、それを読めばいい。
私だって、砂糖とミルクだけで出来た甘い物語は大好きだから、そういうものが欲しいときは、そういう作品を見に行くよ。

私の書くものはジャンクフードであり、添加物であり、背徳の味がするコテコテの高カロリーなのよ。

だから、結論。カワイソウでいい。
可哀想な女の子ではなく「可愛いそう=カワイソウ」で、知的レベルとか赤ちゃん以下まで退化して、人間やめさせられるところまでいってほしい。
思う存分可愛がってもらってくれ。
そういう気持ちで書いている。妄想がたぎる。

そういう意味では「ヒロインが可哀想」「見ていられない」「ヒロインにひどくないですか?」とかいう言葉は褒め言葉として消化することにしている。でも、基本的には解釈違いなので、そういう声は視界にいれたくない。
「もっと甘々」とか言ってくださる方は、きっと私の思う「甘々」とは方向性が違うと思う。

私も駆け出しの作家だった頃は、(いや、今も駆け出しだし、ずっと走っているんだけど)リクエストを聞いたり、読んでくださる方が受け入れてくださる未来に寄せたりしていたんだ・・・でも、全然面白くなくて、その世界からどんどん乖離していくんだよね。そして入れなくなる。扉が閉じちゃう。
おそらく、登場人物たちに拒絶されるんだと思う。
そういうわけで、リクエストは聞いても補償はしないし、反映も約束しない。

私は私の書きたいように書く。好きなように書く。
これからも筆を走らせ続けたいから、自分で自分の性癖を忠実に守っていきたい。

以上

はー、やっぱり長くなった。
これをツイッターで垂れ流そうかと思ってたからヤバかった。Twitterといえば、最近仕様変更されて、全然誰もお見かけしなくなったんだけど。間引かれてて、接点なくなっちゃった。みんな元気でやってるのかな?
時々思い出すけど、こんな人間なので創作に没頭するとすぐに忘れちゃう。
反対に、きっと私の存在もふわりと消えてる。消されてる。
透明人間になったことをいいことに、私は今日も世界のすみっこで、歪んだ愛の物語を書き続けるんだ。