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身近なもので擬人化を楽しんでみる

すでにいる人やキャラクターで妄想することは多いと思いますが、私の場合は全てのものに魂が宿っているととらえた妄想が多い気がします。
鳥同士の会話を想像してみたり、虫の独り言を想像してみたり、物の性格を決めてみたり。

こういう風に書くと、私は随分おかしな人ですね。

まあ、何が普通で何がおかしいのかは道徳やモラル、正論などで判断すれば大丈夫かなと思うので、人様に迷惑をかけない妄想や想像は自由でしょう。

日常生活の中でも妄想を楽しむ。

それがもし私の小説に生かされているのだとすれば、それはもう特技ではないでしょうか。

妄想の天才。

それを座右の銘としたいほど、私の脳内は妄想で溢れています。
もちろん人でも妄想します。
想像イケメンにいじられるという、わけのわからない設定もあれば、電車でスマホをさわっているあの人が自分の小説を読んでいたりしてと都合のいい解釈の場合もあります。

このブログがいったいどれほどの人の目に止まっているのかはわかりませんが、私は意外と面倒くさくて変な人だと認識される可能性が出てきましたね。

さて、話を元に戻します。
タイトル通り、身近なもので想像することが小説の原点になっているだとしたら、これを意識して続けることが上達へのひとつの方法なのではないかと思うのです。

チリも積もれば山となる。

というコトワザもある位なので、書くための素材集めも色んな所から吸収できるようにアンテナを張ります。
妄想や想像は日常の中にゴロゴロ転がっています。初めからダイヤモンドのような輝きを持っている素材なんてありません。
原石もすぐには見つからないし、見つかったと思っても石ころだったり、だけど視点を変えれば面白かったりします。

随分むずかしいように書いていますが、妄想は自由ですし、同じ人間はいないので、その想像はあなただけのオリジナルになります。
カレーみたいですね。
材料が同じでも調理の仕方、持っているスパイス、舌や味の好みで別の世界が広がっていく。

試しに、目の前にあるものに名前や性別を決めてあげてみるのもいいかもしれませんね。

円盤形のおそうじロボットや観葉植物など、生きている感じを想像しやすいものは、すでに名前がついていたり、性格がわかりやすかったりするのではないでしょうか。

小さな頃は人形やぬいぐるみが友達だった人もヒーローごっこなどで勇者になったことがある人もいたと思います。
小説はただそれを文字にして、彼らの冒険を伝えるだけです。
事件や事故もあれば陰謀や策略もあるかもしれません。でも楽しみや嬉しさ、喜ぶ出来事もそこにはあるはずです。