(日常)雑談
もぉ「最近”ら抜き言葉”が流行っているらしいもぉ。」
うしこ「そうみたいですね。」
もぉ「もぉは古き良き言葉が好きだもぉ。ら抜きとかそういう変化にはついていけないもぉ。」
うしこ「え。」
もぉ「もぉは奥ゆかしい和の感じをもっと大切にするべきだと思うもぉ。」
うしこ「もぉがそれを言ってはダメでしょ。」
もぉ「なんでもぉ!もぉはこれでも文化を大事にする精神は持ち合わせているもぉ!」
うしこ「語尾に”もぉ”がついている時点で、文化も何もない気がするんですけど。」
もぉ「これは口癖みたいなものだもぉ。」
うしこ「それって屁理屈じゃ・・・」
もぉ「違うもぉ!」
うしこ「まぁ、でもら抜き言葉ってとりあげられていますが前から自然に使っちゃってたと思いますよ。」
もぉ「もぉ?」
うしこ「見られる→見れる、食べられる→食べれる、考えられる→考えれるとかですかね。私の小説でもら抜き言葉を自然に使用しているところが多々ありそうです。意識はしていなかったので今後どのように影響がでるかはわからないのですが、個人的に違和感なくよめればOKかなって思っているところもありますし、それはそれでありかなと。」
もぉ「もぉ!そういう曖昧なのが一番よくないもぉ。」
うしこ「いや、でも使っちゃってるとこきっとありますもん。」
もぉ「もぉー。」
うしこ「そうは言いますけど、ちゃんと意識して使っている人の方が少ないと思いますよ?意識したら、おかしいとか正しくないとかっていう論点や話題が生まれると思いますが、方言などもありますし、ちゃんと相手に伝わるかどうかのほうが問題じゃないですかね?」
もぉ「もぉ?」
うしこ「今はメールなども苦手な人が多いので、主語や述語が抜けて単語だけで伝えてくる人も目立ちますね。何が言いたいのかがうまく伝えられるずに発言しないまま悩んでいる同僚や後輩はけっこういます。あとは、そういう意味じゃなかったのに、とか。」
もぉ「むずかしいもぉ。」
うしこ「口は禍の元と言いますからね。私も注意して発言はしているほうですが、はたから見てそれがおかしくないかはわからないところです。それに、伝えることより理解しようとすることも必要だなと最近は思えるようにもなりました。」
もぉ「そうやって大人になっていくもぉ。」
うしこ「たぶんそうなんでしょうね。」
もぉ「コミュニケーション能力ってやつもぉ?」
うしこ「人と目を見て話すことより、携帯に向かって単語を羅列する時代ですからね。そういう面では少し寂しいです。」
もぉ「古き良き時代のいいところと、現代のいいところをうまく融合できたらいいもぉ。」
うしこ「おぉ!私もそれがいいと思います。」
もぉ「そういえば、関西弁も”い抜き言葉”が多いもぉ。」
うしこ「え!?」
もぉ「痩せている→痩せてる、食べている→食べてる、出かけている→出かけてるとかもぉ。」
うしこ「えええええ!?」
もぉ「何をそんなに驚いているもぉ?」
うしこ「私、関西人なので衝撃の事実です。わざわざ”い”入れるんですか?不便っっ」
もぉ「きっと同じ感想をら抜き言葉で感じている人がいると思うもぉ。」
うしこ「でしょうね!っていうか、私の小説大丈夫ですかね?」
もぉ「もぉ?」
うしこ「うわー。私が読みやすくても、読みにくい人はいるかもしれないですね。そりゃそうか・・・・新たな発見でした。」
もぉ「日本語って、本当に難しくて奥が深いもぉ。」