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読切「明日、誰かのオトシモノ」

概要

2022年2月に刊行された一筆献納さま主催の「アンソロジー『colorful!』」参加作品となります。
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明日、誰かのオトシモノ

読み:あしただれかのおとしもの
公開日:2022/02/06
ジャンル:現代
文字数:約2800字
読了時間:約3分
タグ:日常/落とし物/ゆるやか

Story道端に捨て置かれた黄色の長靴。赤でも青でもない、派手で目立つ黄色の、一度は目にした小さな長靴。

本編「明日、誰かのオトシモノ」

 黄色の長靴が欲しかったことを道路脇に放置された片方だけのそれを見て思い出した。
 持ち主は知らない。明らかに子供用のサイズをしているから、きっとどこかの小さな足が落としていったのだろう。
 雨はすでに止んでいる。ときどき車が通る程度の閑静な住宅街の一角。水はけがいいのか、悪いのか。よくわからない公園と道路を掛けるグレーチングの上に捨て置かれたそれは、まだ自分は役割を果たせるとでもいいたげに自己を主張していた。
 水たまりのある世界で忘れ去られた存在。
 本来なら彼らの役割が最大限に発揮されるだろう世界で、それは哀愁を漂わせて横たわっているのだから同情を誘う。

「んー」

 長靴にとっては不幸中の幸いか。本来納めるべき足の大きさではない人間に見つかって、あわよくばもっと目立つ場所に自分を置いてくれと言っているように見えないこともない。長靴の思惑通り、たしかに大人の自分ならばもっと目立つ場所に「ここにありますよ」と置き直すことが可能だろう。
 黄色の長靴。なぜこうも奇妙な場所に左足部分だけが捨て置かれているのかは、通りがかりの一般市民にはわからない。故意か事故かもわからない。わからないけれど、一度目にとめてしまった以上、無視するのもなんだか違うような気がした。

「……あ、っれ」

 静かに近寄って、気まぐれ同然に長靴を指でかけて持ち上げようとした手が止まる。
 中に小さなカエルが一匹。雨宿りをしているうちに眠ってしまったに違いない。わずかにたまった水につかりながら、気持ちよさそうに目をとじて呼吸を繰り返している。
 両生類が得意かどうかという問題は、今ここで触れないことにしておこう。得意にしろ、苦手にしろ、不意をつかれて驚いたことにかわりはない。加えて、異種族から見ても明らかに気持ちよさそうな寝顔というのは伝わってくる。
 きっとよい夢を見ているに違いない。起こすのは可哀想だ、と雨あがりの世界は良心に訴えかけてくる。
 つまりは、そっとそれを見なかったことにした。

「あ、まだある」

 二日後、同じ道を通った際に同じ角度で保たれたままの長靴を見た。
 今度は前回と違って数人の小学生が公園でボールを投げ合って遊んでいる。ドッチボールにしては微笑ましい。それでも小さな手で笑い合う声は、すっかり晴れた空の下では人の気持ちを軽やかにさせた。

「あの中に持ち主はいなさそう」

 長靴の落とし主にしては、少し大きい年齢のように思う。
 あの居眠りカエルが住処に選んだ黄色の家は、もっと小さな年齢の足にふさわしい。
「んー」と独り、うなるように足を止めて顎に手を添えてみる。明日は先日よりも激しい雨が予測されているが、水たまりを作ることをいとわない公園と道路を隔てる側溝が雨で受ける被害はいかがなものか。やはり二日前に長靴が訴えていたとおり、目立つ場所に移動させた方が良いかもしれない。
 そう考えているうちに、気付けばその長靴まであと一歩というところまで近付いていた。
 忘れ去られた記憶が「そういえば、自分も昔は黄色の長靴が欲しかったんだよな」と再度言い様のない感傷を連れてくる。
 今はもう、これだけはっきりとした黄色の長靴を履いては歩けない。
 そもそも売っているところを見かけない。おしゃれなレインブーツや雨専用の防水靴などは見かけるけれど、ここまで単色な派手さは一般人には悪目立ちすぎる。
 ある意味、無敵の靴なのかもしれないと、ここを安眠の場所に選んだカエルの気持ちがわかるような気がした。

「あれ?」

 今日は留守か。それとも正真正銘ただの雨宿りだったのか。
 あれだけ気持ちよさそうに眠っていた姿がないというのは予想外で、はたからみれば不審者のような動きをしてしまったのは許してほしい。
 乾ききらない湿った水が底の方に散らばっていたが、手に取り、振り上げてみても、そこに先住民はいなかった。

「あー」

 タイミングてきに、自分の行動に反応したのだと思える声に振り返る。右手に小さな黄色を持って驚いた顔で振り返った先には、まだ就学前の小さな女の子が指をさして大声を出している姿があった。
「人に指をさしてはいけません」と隣に立つお母さんらしき人が怒ったあとで、こちらに向かってぺこりと頭を下げてくる。反射的に自分も頭を下げて、そして今、右手に持った本来の持ち主を漠然と認識した。

「すみません、先日この辺で遊んだ時に落としてしまったみたいで」

「ああ、これですね。どうぞ」

「ありがとうございます。ほら、お礼は?」

 小さな口で「ありがとう」を一生懸命伝えられると、どうも顔が自然とほころぶ。赤でもピンクでもなく黄色を自分で選んで、お父さんに買ってもらったのだと嬉しそうに教えてくれるその無邪気さに、心までも温かくなる。と同時に、今は男だとか女だとかにしばられない色を選べる時代になったのかと、わずかばかりの羨ましさを覚えた。

「見つかってよかったね」

 目線を合わせて長靴を返してくれる見ず知らずの大人の顔と母親の顔を見比べたのち、小さな女の子は遠慮がちに両手を伸ばしてうなずいた。
 黄色に負けない笑顔が可愛い。履いていた靴を脱いで、片方だけそれを履こうとするのを瞬時に取り上げた母親の機微にも驚いたが。お気に入りの靴であるということはよくわかった。
「ばいばい」と手を振って去っていく親子を見送り、束の間の青空を見上げる。
 まだ公園にいる子どもたちはよくわからないボールの投げ合いで笑い声を飛ばしている。なんてのどかな午後。同じ町に暮らしていても、姿も声も知らない人はたくさんいる。今日会話を交わした親子も、今そこで遊んでいる子どもたちも、これから先の未来で再度関わる可能性は極めて低いに違いない。何かのイタズラか、気まぐれか。日常の中に潜む非日常な世界は、流れるように過ぎ去っていく。

「あ」

 視線を下げた先で、小さな姿が撤去された家に落胆の泣き声を漏らしているのを見つけた。
 お気に入りの黄色の長靴。
 あのカラフルな色は見間違えようもない。
「たしかにここにあったのに」と全身から漏れ出る声に、思わず苦笑の息が漏れた。
 かつての自分を重ねたせいもあるかもしれない。誰にとっても忘れがたい思いというのは、いつか呼び起こされる古い記憶になるのだろう。
 それでもすぐに諦めがついたようで、公園の植木に溶け込むようにもう会うことのない非日常は行方をくらませてしまった。

「んー」

 軽く伸びをして、今この瞬間の空気を吸い込んでみる。
 どこか湿ったような独特の晴れた匂い。
 たしかに明日は雨に違いないと、本能が天気予報に賛同している。

「明日天気にしておくれ」

 ボール投げに飽きた子どもたちの声がどこか遠くで聞こえてくる。
 懐かしい記憶というのは、芋づる式に引き起こされるものなのか。片足で立つ名前も知らない存在が、伸びた影を連れていつかの色を追いかける。
 そうして弧を描く誰かの靴は、またどこかで誰かの物語を紡ぐ家になるのかもしれない。

(完)

あとがき

「虹を構成する7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)のうちの1色以上を、作品のモチーフに使用して下さい」というテーマの中から「黄色」を選んで書きました。

プロムナードとは

遊歩・散歩を意味するプロムナード。「日常の中にほんの少しの非日常を」というコンセプトを元に、短く仕上げた物語たちのこと。皐月うしこオリジナルの短編小説置き場。

※文字数については各投稿サイトごとに異なる場合があります。
※読了時間については、1分あたり約750文字で計算しています。