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短編「されど呪われ姫は新月に揺らぐ」

概要

2023年9月に刊行された神連カズサ様主催の「アンソロジー」参加作品となります。
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作品名

作品名:されど呪われ姫は新月に揺らぐ
公開日:2023/09/10
ジャンル:恋愛ファンタジー
文字数:約11000字
読了時間:約15分
タグ:呪い/姫/騎士/身分差/約束

Story騎士王ギデオスに破れた魔王クオは封印される間際、王の愛する一人娘を醜い姿へ変えた。姫は嘆き悲しみ、虹の魔女に助けを求めたが、あまりに強力すぎるその呪いをとくことはできなかった。

本編「されど呪われ姫は新月に揺らぐ」

 騎士王ギデオスに破れた魔王クオは封印される間際、王の愛する一人娘を醜い姿へ変えた。
 姫は嘆き悲しみ、虹の魔女に助けを求めたが、あまりに強力すぎるその呪いをとくことはできなかった。不憫に思った魔女は姫の希望となるように、新月の夜だけは本当の姿が写る魔法の鏡を授けたという。

* * * * * *

 影さえ溶けるほどの暗闇。瞳をあけたその先では、美しい少女が悲しみをこらえてじっとこちらを見つめている。

「大丈夫よ、ユニ。つい本当の姿を忘れそうになるけど、いつかきっと全部元通りよ」

 困ったように眉を潜めて、ユニは静かにうなずいた。泣き出しそうな、それでいて気丈に。みている方が胸を締め付けられるだろうが、この暗闇の中で人物はただひとり。
 黒に溶け込んだ鏡に写る美少女。
艶やかに伸びた髪はベルベットローズ。深紅の瞳は吸い込まれるほど美しく、佇まいは人形のように愛らしい。けれど影の去る夜が明ければ、光の中から現れるのは世にも醜い若い女。目は腫れて、頬は窪み、血色の悪い肌に生気はない。どれだけ丁寧に梳かしても黒く滲んだ髪はすぐに絡まり、ユニの意思に反して四方八方に遊びに行く。それだけならまだしも魔王クオは何を思ったのか、ユニの肌を白い蛇の鱗を模した不気味なものに変えてしまった。おかげで好奇の目に怯えたユニは、年頃だというのに全身を隠す服を年中着続け、すっかり人と会うことを拒絶していた。
 誰が鏡に写る美少女と実際に人々の目に映る醜い女を同一視するだろう。たしかに声だけは間違えようもなく同じ響きを保っているが、鏡の少女を知る者は多くない。
 本当の姿をわかってもらえない苦しみを抱えたユニを思ってか、虹の魔女セイラは人目を避けた谷の一角、滝の美しい洞窟の奥。大地の洞穴ともいえる場所に、心地よい住まいを作ってくれた。おかげで日々の暮らしに支障はない。
 魔物に襲われることもなく、安全に過ごせる自然豊かな場所に不満もない。
 ただ願うことなら、呪いをときたいとユニは思う。それは魔法にかけられてから四年と約三ヶ月。千五百回目の夜を迎えても変わらない願いだった。
 当たり前にあった世界は一変し、今はどうやってあの日々を過ごしていたのかもわからない。薄れていく感覚。恵まれていたのだと、失ってから知ったことはあまりにも大きい。

「ユニ、もうすぐ夜が明けるわ。また次の新月まで本当の姿はお別れね。おやすみ、私、おやすみなさい」

 鏡に額をつけた正反対の姿は、闇に呑まれて消えていく。次に目をあけたそこには、随分見慣れた姿がこちらを見つめていた。

「おはよう、ユニ。少し眠ってから、ご飯にしましょ」

 一人うなずいてからユニはベッドに潜り込む。そこから太陽がすっかり上るまで眠り続けたあと、ユニは「んー」と大きく伸びをして目覚めた。
 窓から差し込む光が昼であることを告げている。実際、壁にかけられた時計の短針が昼の二時を指していた。

「もうこんな時間、セイラのところに行くのは明日にしようかな」

 今度は「んー」と悩む声が漏れる。
 一人、引きこもるようになってから独り言が増えたような気がしないでもない。外はいい具合に晴れているのだから出掛けるには、うってつけだろう。
 それでもいまいち気分が乗っていない。
 ユニにとって目覚めた気分は、まさにその通りだった。

「あら、ヒドラ。今日はそこにいるのね」

 時計と棚の間。壁に張り付いていたヤモリに似た生き物がユニの声に反応して、小さな火を口から吐いた。小指の先ほどの小さな火を吐いたモンスターは、新月の鏡のなかで見たユニの髪色と同じ、深い紅色の身体で壁を移動している。

「んー、家の中でじっとするのもなんだし。何か作って、外で食べるくらいはありかもしれない」

 気晴らしに、晴れた空の下でピクニック気分を味わうのも悪くない。一匹と一人。滝の反対側にある庭先ほどの小さな丘まで行ってみようと、ユニはベッドから降りて、準備に取りかかることにした。
 適当な具を挟んだだけのサンドイッチと甘さ控えめのコーヒーと、ほんの少しの果物を大きなカゴに詰め込んで、ブローチのようにヒドラを黒い外套のすそにつけたユニは家を出る。
 時刻は三時。外はまだ光に満ちている。今なら丘の上から、山間に建国されたノルウェアン城の美しい風景を視界に収めることが出来るだろう。

「風が気持ちいい……けど、なんだろう。いつもと違う匂いがする」

 木漏れ日が美しい小路。家から丘に向かうには、少し入り組んだ木々の合間を通っていかなければならない。
 そこは別にいい。自然の恩恵は心を癒してくれる。鳥のさえずり、獣の足音。風が運んでくるのは、よく知る草の匂いと流れる川のせせらぎ。ところが今日は、血なまぐさい変な匂いが混じっている。縄張り争いに負けた獣でもいるのか。
 それにしては、いささか静かすぎる。

「ヒッ!?」

 突然、真横から手に持つカゴを目掛けて何かが突っ込んできた。意味がわからない。何が一体どうなったのか。状況判断できる材料と言えば、無遠慮にもぐもぐむしゃむしゃと咀嚼音を響かせる黒い馬の首だけ。
 なぜこんな場所に馬がいるのかはもちろん、警戒心もなく他人の食料を口にするところに驚くしかない。まず野生では絶対にありえない。それは艶やかな漆黒の毛並みはもちろん、豪奢な馬具や手綱をつけていることでも判断できるのだが、肝心の主人がどこにも見当たらない。
 つまり、今、ユニの持つカゴに顔を突っ込んで食事をしている馬は主人とはぐれ、入り組んだ木々の茂みを彷徨っていたということになる。

「おっ、おいしい?」

 躊躇しながら言葉を紡いだのは、不幸な馬がまるで幸福の余韻に浸るような食べ方をしているせいかもしれない。

「これも食べる?」

 ほとんど食べられたことはこの際置いておいて、ユニは哀れな馬を気遣う。「ヒヒンヒヒン」と嬉しそうな鳴き声をあげてたいらげるあたり、相当お腹がすいていたのだろう。

「かわいそうに、ご主人とはぐれちゃったの?」

 馬が首を縦に振っている。

「そう……あなたは私が怖くないの?」

 今度は不思議そうに首をかしげている。相変わらず口だけは何かを食べ続けているが、馬はユニの姿を見て恐れる素振りは微塵もみせていない。それどころか、もっと食べ物が欲しいとねだるようにユニの頬をべろりと舐めた。

「ふふ、へんなの」

 人間離れした姿になってからというもの、何かに新しく懐かれた記憶はない。ユニは嬉しくなって気付けば自然と笑っていた。

「あら、もう全部食べちゃったのね。食いしん坊さん。よかったら私の家にくる?」

 馬が喋らないのをいいことに、ユニは馬を撫でながら問いかける。馬は少し考える素振りをしてから、嬉しそうに耳としっぽを動かした。
 承諾の意味なら話は早い、丘ではなく家に進行方向を戻せば住むだけの話。ところが方向を変える寸で、木の幹にもたれて眠る男を見つけてしまった。盛り上がった木の根に挟まれ横たわる男は、土埃にまみれるのを厭わないらしい。

「えっ、なに、ひと?」

 声をかけるべきかどうか。ユニが観察する限りでは、あまり近付きたくない部類に属している。
 赤い衣装に紋章入りの銀色の鎧。力なくうなだれた右手の中には、何かの血が付着した剣が転がっている。明らかに、騎士王ギデオスが統治する国の騎士。
 かなり疲弊しているように見えるのは、時折荒く変わる肺の動き。深い傷は見当たらなくても、すぐに動けない事情があるのかもしれない。昼下がりの太陽が木の葉の隙間を縫って男を照らしているが、状態はあまりいいようには思えなかった。

「どうしよう」

 夜が更ければ人里離れたこの辺り一帯は暗闇が支配する。弱った人間を放置しておけば、匂いにつられた狂暴な魔物も出てくるだろう。そうなれば、あとは最悪の結末。
 面倒なことに巻き込まれるのだけは避けたい。

「よしっ」

 ユニはフードを目深にかぶり、確実に顔をみられないように注意した上で、向かいの木に身を隠した。
 そして、投げる。

「えいっ」

 足元に転がる木の実や小石が当たれば、イヤでも目が覚めるだろう。話しかけずに済み、相手がどんな人間か観察もできる。まさしく一石二鳥だと、ユニは渾身の力を込めて眠る騎士に異物を投げる。
 ところがどういうわけか、投げたはずの木の実が男に当たる前に分散する。驚いたのも無理はない。ユニが咄嗟に身を隠したのも納得がいくほどの剣さばきだった。

「おいっ」

 低い声が風にのって聞こえてくる。

「そこのお前、死にたくなかったら三秒数える間に出てこい」

 三秒。考えている時間はない。
 二秒、男の瞳が鋭さを増していく。
 一秒、構えた剣に触れる男の指先がわずかに動いた。

「まっままま待って、ごめんなさい」

 間一髪。ユニは茂みから飛び出て、男の前に姿を現した。
 男もまさか頭からすっぽり身を隠したマントの女が現れるとは思っていなかったのだろう、虚をつかれたように息をのんで固まっている。

「わっ、私は、そっ、そんなところで倒れてるから、起こそうと思っただけなの」

「石をぶつけてか?」

「それは、その。直接起こす勇気がなくて」

 とにかく顔をみられないようにすることを第一優先としたユニの挙動不審な態度は、男の不信感を募らせる。
 風がささやく数秒。二人の距離は伸びも縮みもしなかった。そしてついにユニに危険はないと判断したのか、男は厳戒態勢を解いて再び木にもたれかかる。

「えっと、あの、大丈夫?」

「ああ」

「でも、ケガ、してるんじゃ」

「これくらい寝ていれば治る」

「でも、そんな場所で」

 困ると続けそうになった口をユニは慌てて閉じる。
 関わりたくないが、放ってもおけない。中途半端な時間経過が気持ち悪い。殺気を飛ばせる元気があるなら、早々に目の前から立ち去ってほしかった。

「えっと、あなた。ノルウェアンの騎士でしょ?」

「だったらなんだ?」

「え、あの、街に帰ったほうがいいんじゃないかなぁって。ここ、意外と魔物でるよ?」

「知ってる」

「あっあの、休むならもっと安全な場所がいいと思うんだけど」

「心配ない」

「そうかもしれないけど」

 他に何を言えば目の前の男は納得するのか、簡単にわかれば苦労しない。ユニはただ自分の生活を脅かされたくないだけ。騎士は騎士を呼び、騎士は争いを運んでくる。
 そういうものに、二度と巻き込まれたくはない。

「ヒッ、ちっ近くに来ないで」

 言葉を探している間に、男との距離がなぜか近付いていた。剣は向けないでいてくれているが、先ほどの腕前を見てしまった以上、この騎士がただの一般兵ではないことはわかっている。

「近寄らないでってばッ!」

「お前、この辺に住んでいるのか?」

 前に付き出した手首を避けた男の顔が、額の触れるほど至近距離にあった。太陽というより月が愛しそうな金色の瞳。
 ユニの持ったバケットが都合よく邪魔してくれているようだが、ユニはフードで顔を隠しながら飛びのくので精一杯だった。

「だったら教えてくれ。深紅の髪をした女を見たことはないか?」

「え?」

「宝石の赤を想像させる綺麗な瞳を持っていて、そうだな。ちょうどお前くらいの背丈の」

 高鳴る心臓の音を無視したとしても、いま聞こえてきた言葉は信じがたい。深紅の髪、赤い瞳。それを持っている人をユニは知っている。
 昨晩、鏡のなかで生きていた過去の自分。

「どうしてその人を探しているの?」

「王が探している」

「王って、あの王様?」

「そうだ。ノルウェアンの英雄、騎士王ヴァン・ギデオス」

 心臓が変な脈を刻み始める。それでも騎士は話をやめようとはしなかった。

「魔王クオが封印されて、まもなく五年がたとうとしている。それなのに魔物たちは減るどころか力を増し、世界が平和になったとは言いがたい。王の力が薄れる地方では、騎士の力を持つ兵士でないと倒せない魔物も出没している。皮肉な話だが、魔王クオが魔物たちを抑制してくれていたのだろう……だが、今は魔王の話はどうでもいい。大事なのは姫の行方だ。一部では魔物が姫を探しているという情報も流れている」

「それで、一人でこんな場所まで?」

「ベルガ……乗っていた馬が、な」

「馬?」

「なぜか、お前になついている。そこの馬だ」

「えっ、ああ、この子。さっき、カゴの中身を」

「また、たかったのか!?」

 ユニが全部言い終わらないうちに男は事情を察したらしい。黒馬ベルガの手綱を慌てて手に取ると、そのままバツの悪そうな声で謝罪を口にした。

「すまない。ベルガは食い意地がはっていて、腹が減ると暴走するんだ。王の命で姫探しの旅をしているが、さっきも魔物を倒した辺りで腹が減ったのか、ものすごい勢いでこの森に飛び込んでいったんだ。まあ、見ての通りコレだ。追いかけて森に入ったものの、あまり深追いはよくないと思ってな。どうせ腹がいっぱいになれば戻ってくる。だが、しばらく眠って休んでいることにしたのは、どうやら間違いだったようだな」

 ベルガは主人の言葉を理解しているのか、「そんなことはない」とでも言いたそうに鼻を強く鳴らしている。先ほど前振りなくカゴの中身を漁られた身としては、乾いた笑い以外に返せないのが心苦しい。
 そんなユニに気をつかったのか、騎士は軽く咳払いをして澱んだ空気を霧散した。

「しかし珍しいな。ベルガが俺以外に懐くのは」

 愛馬を見つめながら撫でた後、男はユニの方に視線を向ける。

「じきに日も暮れる。世話になった礼をあいにく持ち合わせていなくてな。せめて、お前を家に送ろう」

「いっ、いいえ、お気遣いなく」

「そういうわけにはいかない。先ほどお前が言った通り、このあたりは魔物が出る」

「ヒドラがいるから大丈夫」

「ヒドラ?」

「そう」

 それまで大人しく服についていた影が動いて、ユニの手の動きに合わせて移動してくる。騎士にも見えやすいように持ち上げたユニの手の中、小さなモンスターが自己主張するように火を噴いて鎮座していた。

「ねっ、私は平気。だから、早くイッうわぁ」

「なっ、こらっ、やめろベルガ。すまない、いつもはこういうことをする奴じゃないんだが」

 突然持ち上がった体にユニの思考は追い付かない。
 マントが剥ぎ取られて醜い姿をさらさないようにすることに必死で、自分が黒馬ベルガの口に加えられて地面から足が浮きかかっていることにすら気付いていなかった。それでも今の状況を長引かせたくはない。混乱の原因がベルガにあるのだとしたら、ユニが思い当たる要因はひとつしかなかった。

「もっ、もしかしたらさっき、カゴの中の食べ物をあげたときに私の家においでって誘ったからかも」

「はぁ、なんでそんな約束……ベルガに食べ物の誘いは禁句だぞ」

「そんなの知らないわよ」

「とにかく、それならやはり家まで送るしかないようだ」

「うぅ、おねがい、します」

 承諾の言葉を吐き終わって解放されたユニは、納得のいかない顔でベルガの背に乗せられる。こうなれば、早急に送ってもらって早々に去ってもらえばいいのだと、変な気合いさえ背負っていた。

* * * * * *

「すごいな、残響の谷にこんな場所が」

「ここは魔物も来ないし、守られた土地だから平気なの」

 ノルウェアン城が見える丘ではなく、木々の隙間を戻ってたどり着いたのは、日が暮れて影が深まる不気味な谷底。人間も動物も含め、生物が気味悪がって近づかないのをいいことに、ユニは約五年も身を隠す場所としてここに住居を構えていた。
 好き好んで陰気な場所に、それもかつて魔王クオの息がかかっていた土地に身をおきたがる人はいないだろう。しかし暮らしてみれば、そこは都。夜の気配が深まるにつれて静寂が増し、何かに縛られた感傷を忘れさせてくれる。

「しかし、ここはかつて魔王クオが統治したレゴスへと続く谷だときく。本当に魔物が来ないのか?」

「ええ、虹の魔女の加護を受けているの」

「魔女セイラの?」

 相手が不審がるのも無理はない。それでも魔女セイラの名前は万人に「安全」と思わせる効果があるのだろう。騎士はベルガから降りたユニに続いて地面に足をつけると、周囲を見渡して警戒を緩めたようにみえた。

「すっかり暗くなってしまったし、ベルガもお腹がすいているようだから、今晩は泊っていって。それに、あなたの顔色。会った時よりも随分ひどくなってる」

 ベルガが嬉しそうに一鳴きする。初めからそのつもりしかなかったことは明白だが、こうも素直に喜ばれると招きがいもあるというもの。

「だけどひとつだけ、絶対に守ってほしい約束があるの」

「約束?」

「私の姿を絶対にみないこと、それと剣を預からせてもらうこと」

 これには、さすがに男はいい顔をしなかった。それを見越したうえでユニは手を差し出す。

「私は家の中でもマントを脱がないし、最小限の明かりしかつけたくない。それといくら体調が悪そうでも、見ず知らずの剣士に殺されたくもない」

 口元をもう片方の手で覆って、真っ直ぐに見つめたユニの瞳が初めて騎士と交わる。闇に溶けだしそうな黒い瞳。緩んだはずの緊張感が再び空気を張り詰めていく。

「わかった、約束しよう」

 ベルガから降りた騎士は、その腰に差していた剣をユニの手に預ける。
 ずしりと重量感のあるそれは、使い込まれた独特の手触りがした。

「私の名前はユニ」

「俺の名はジグルド。それでは、ユニ。一晩世話になる」

 そこから奇妙な生活が始まった。ジグルドと名乗った騎士は長旅の疲れが出たのか、出会った魔物から受けた傷がよくなかったのか、体調が悪化して数日寝込む羽目になった。
 その間、看病しないわけにもいかず、ずるずる過ごすこと十数日。一日の時間をジグルドと一緒に回っている不思議な感覚がユニを包んでいる。
「おはよう」といえば「おはよう」と返ってくる朝。食べ物や薬草、水などを調達しにいったユニが戻れば「おかえり」と出迎えてくれる毎日。日増しに体調が回復すると、ジグルドは剣の代わりに木の棒でなまった体を鍛え直していた。
 毎日新しい光景が追加されたとしても、いつの間にか馴染んだ景色に変わっていく。
 一緒にご飯を食べて、眠り。一日にあった他愛ない話から、出会う前の記憶の物語まで。会話は途切れることなく、ユニとジグルドの関係を深めていった。
 それでも、一線を越えることは決してない。ユニはジグルドが目を覚ましている間にマントを脱ぐことはなく、夜が更けても明かりを最小限にとどめたままだった。
 そうして何日目かの夜を迎える頃、ユニはそわそわと落ち着きをなくしていた。理由は決まっている。そう。今夜は新月。魔法の鏡に映る本当の自分に会える日。

「ジグルド、おやすみなさい」

 申し訳ないと思いながら、ジグルドの薬に眠り薬を含ませてもらった。
 これで今夜の邪魔は入らない。
 ユニにとって呪いがとける魔法の一夜は、この数年。一度だって楽しみにしなかったことはない。

「新月の鏡、お願い。本来の私を映して」

 真っ黒な部屋でひとり、ユニはマントを剥ぎ取った姿で鏡に映る。影に溶けたような漆黒の鏡は、徐々に近づいていくユニの姿を美しい少女の姿で映していた。

「ねぇ、ユニ。どうしてかな、今夜は私、あまり私に会えるのが嬉しくないの」

 鏡の中のユニは微笑みながら悲しみをにじませている。今までの絶望に近い諦めではない、何かにすがるような苦しみが浮かんでいる。

「綺麗な髪、綺麗な瞳。本当の私の姿なら、ジグルドに好きだと言えたかもしれない」

 うつむいた瞳に映るのは、鏡ではなく呪いにかかった奇妙な肌。白い蛇のような鱗を刻んだ肌は何度見ても泣きたくなる。

「ねぇ、ユニ。どうしたら呪いはとけるの?」

 答えを知っている人はどこにもいない。魔王クオの呪いは、世界最高の魔女と謳われる虹の魔女セイラでもどうすることもできなかった。呪いをとく方法もわからない。
 いっそのこと、魔王クオの封印をといて呪いを解かせたいと思いはするが、魔王の復活は誰も望んでいないだろう。恐怖で人々の心を歪めたとされる魔王が、騎士王ギデオスに負けた事実は変わらない。そもそも、封印を解く方法など呪いを解く方法と同じくらいに不明なのだ。
 もうすぐ年齢は二十三を超える。
 今さら「姫」などと呼んでもらえる年齢でなくなったことも、ユニの表情を曇らせる要因のひとつだった。

「ジグルドを好きだなんて、呪いにかかった姿で気付きたくなんてなかった」

 顔を手のひらで覆い隠してユニは静かに涙をこぼす。泣いて呪いがとけるなら、ユニの呪いはとっくの昔に解けていただろう。けれど現実は残酷なことに、ユニを新月の鏡の姿に戻すことはない。

「……ウェラユティカ」

「ッ!?」

 自分ではない声に反応したユニの体が弾けたように振り返る。
 わずかに開いた扉の先で、見知った人物が驚愕の顔で立っていた。

「ジグルド……どうして」

 あまりに驚きすぎると、人は声を失うらしい。かすれた音になった声がジグルドにどう聞こえたかはわからないが、「どうして」という疑問はどうやら通じたらしい。

「今日、ユニの様子がいつもと違った。いや、もうユニと呼ばない方がいいのか?」

 混乱している様子がありありと伝わってくる。それでもさすが剣士というべきか、平常心と理性を保ちながら現状把握するために呼吸を整えている。

「なにかあると踏んで滞在を長引かせていたが、これはいったい……答えてくれ。なぜ、鏡にウェラユティカ様の姿が映っている?」

 声に多少の焦りがみられるものの、ジグルドはいたって静かな息を吐いていた。ただ、ユニの答え次第ではそれ相応の対応をするつもりだろう。初めてこの家に招いた時と同じ、警戒心がジグルドの周囲に張り巡らされているのが伝わってくる。
 正直に答えるべきかどうか。悩む必要はユニにはなかった。
 この状況で嘘をついたところで何にもならない。現実は想像よりもずっと苦しくて、残酷な痛みを伴ってユニの胸を締め付けていた。

「私が、ウェラユティカ本人だからよ」

 騙すつもりはなかった。黙っているのも限界を感じていた。それでも、今のこの現状は逃げ出したいほど居心地の悪さを感じてしまう。自分の探していた「姫」が異形に変わっていたなど、たとえジグルドでも受け入れがたい事実に違いない。「まさか、いや、だってどう見たって」そういうありふれた言葉を呟かれることは覚悟していた。

「記憶にある姫とは全然別人でしょう。声以外、面影だって残っていない。皆が知っている私の姿は、鏡に映っている深紅の女の子。だけど、どう。今の私は、ぼさぼさの黒髪に死人のような精気のない顔、肌だってこんな風に……まるで魔物みたいでしょう?」

 どこからともなく姿を現したヒドラが小さく火を噴いて、壁に取り付けられたランタンに明かりがともる。仄かに照らす程度の光だが、ユニの姿をジグルドに伝えるには十分な明かりだった。

「噂には聞いたことがあった。魔王クオが騎士王ギデオスに敗れる間際、愛する一人娘を呪いにかけたと」

「その噂は本当だったってわけ。封印された魔王クオの呪いは、虹の魔女セイラにも解くことが出来ず、私はあの日からずっとこの姿のまま、誰の目にも触れないようにこの場所で暮らしてきた。いいわよ、別に。どうやったら呪いがとけるのかもわからないし、私、あなたになら殺されてもかまわない」

「殺す?」

「魔王の一人娘、魔族の姫、魔物を産む者。それだけで、今の世界で私が殺されるのに十分な理由だと思うのだけど」

「俺はユニを殺さない」

「それの何を信じろっていうの?」

 声を荒げたのはユニの方だった。想像と違う反応、想像と違う答え。ジグルドの受け答えがユニの予想とは違うものばかりで、どうしてこんなに自分の声が大きくなっていくのか、どうしてこんなに苦しいままなのか、鏡の中の姿ならきっとこういう劣等感を抱くこともなかったのかもしれない。
 いっそ化け物だと罵って、すぐにでも殺してくれたらラクになれたのに、騎士から剣を奪ったのは他でもない自分自身。殺されたくなくて、殺されたい。矛盾した感情に吐きそうになる。
 自分は醜い。絶望的な呪いをとく方法は、どこにも存在しない。
 こんな状況でも普段と変わらないジグルドの視線が、声が、態度が、どうしてそうあり続けることが出来るかの答えを知りたかった。

「人間は醜いものに優しくはない。まして魔王クオが実の娘にかけた呪いを知れば、喜んで刃を向けるでしょう。実際、魔女セイラの元にたどり着くまで、私はそういう扱いをいたるところで受けた。誰も、誰一人として私がウィラユティカだと信じてくれた人はいなかった。これからも何かに怯えて、馬鹿にされ続けて……そんなのまっぴらごめんだわ。大体、パパが悪だって誰が決めたの。世界に放出された魔力を調整していた凄い人なのよ。パパを封印なんてするから、魔物は魔力を好き放題に食い漁って凶暴化しているし、魔力は自然を歪めて存在しない生物を産み出している。これからもっと、もっと増えていくわ。私のせいでも、なんでもない。ギデオスがパパを封印なんてしなければ、こんなことにはならなかったのに、大嫌いよ。ギデオスも、騎士も、人間も」

「俺は、ユニが好きだ」

「大嫌いよ。こんなときでも優しく抱きしめてくれるジグルドなんて」

「それでも俺はユニが好きだ。一緒に探そう。呪いをとく方法を」

 誰かの温もりを直に感じたのはいつ以来だろう。忘れていた感覚が胸の苦しみを溶かしたように広がっていく。影の中で灯る明かりと同じ、ジグルドの存在が希望の光に感じてしまう。
 信じてもいいのだろうか。抵抗したところで離すつもりは毛頭ないという風に、ジグルドが体を抱きしめてくる。その真剣さにユニの全身から力が抜けていく。
 もう一人で抱え込む必要はないのだと、安堵に涙腺まで緩んでいったらしい。

「ずっと一人でつらかったな。俺はユニの傍にいる。これからも。だから隠したり、怯えたりしなくていい」

 ジグルドはそれ以上何も言わず、どこにも行かず、ただ黙って傍にいてくれた。それがどれほど心に染みただろう。抱き締めるジグルドの腕の中で新月の鏡にうつる深紅の髪が徐々に黒く変わり、再び闇に消えていく頃には、ユニの泣き声は静かな寝息に落ち着いていた。

* * * * * *

「騎士が魔王の娘と結ばれるなんて、おとぎ話でも聞いたことがない」

「これから作られていくんだから別にいいだろ?」

 翌朝、旅支度を整えたジグルドとユニの姿がそこにあった。陰惨な谷に隠された美しい隠れ家の前。黒い馬は上機嫌に二人の様子をみて鼻を鳴らし、新たな門出を喜んでいる。

「でも、本当にいいの?」

 ベルガにまたがり、ジグルドが背後に乗ったところでユニは最後の確認に振り向いた。

「私の呪いはきっとパパにしか解けない。それってつまり、魔王を復活させるってことよ?」

 ノルウェアンの騎士は、魔王討伐を果たした英雄ギデオスに憧れ、日夜、魔物や魔王の残党たちと戦いを繰り返している。姫探索の任務にあたるジグルドも同じことがいえるだろう。
 ただし、どうやらそれは杞憂だったらしい。

「まあ、どうにかなるさ」

 不敵に笑ったジグルドの唇がユニの唇に重なり落ちる。突然の出来事に真っ赤に染まったユニの頬は、風を切るように駆けだしたベルガの足音に紛れて霧散していく。
 きっとユニは、そしてジグルドもまだ気付いていないに違いない。
 今まで自分を守ってくれていた場所が視界の端にどんどん小さくなっていく。それを見送るユニの瞳は、新月の鏡に映る少女と同じ赤い色をしていた。

(完)

あとがき

西洋というよりファンタジー要素が強くなってしまいましたが、お楽しみいただければ嬉しいです。「騎士×姫」なんて妄想しか広がらない素敵な世界。「ジグルド×ユニ」の二人がたどり着く未来も、どうか素敵なものでありますように。

プロムナードとは

遊歩・散歩を意味するプロムナード。「日常の中にほんの少しの非日常を」というコンセプトを元に、短く仕上げた物語たちのこと。皐月うしこオリジナルの短編小説置き場。

※文字数については各投稿サイトごとに異なる場合があります。
※読了時間については、1分あたり約750文字で計算しています。