短編「魔女見習いと精霊の石」
概要
2024年5月に刊行された日埜和なこ様主催の「輝石のドロップス」参加作品となります。
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作品名
作品名:魔女見習いと精霊の石
公開日:2024/05/19
ジャンル:現代ファンタジー
文字数:約12200字
読了時間:約16分
タグ:現代/魔法/不思議なお店/師弟/魔女
本編「魔女見習いと精霊の石」
濡れガラスに似た黒いランドセルを揺らす小さな影は、交通量の多い道路を左折し、静かな路地へと進んでいく。
「変身、変身、ドラゴンに変身」
とても嬉しいことでもあるのだろう。
鼻唄とも独唱ともいえる声を吐きながら、それは路地の奥へと向かっていた。
コンビニと昔ながらのケーキ屋の間にある細い道は、自動車はもちろん、自転車もあまり通らない。往来する人の代わりに、黒猫が一匹、白猫が一匹、カラスが二羽、四羽、いや五羽並び、上空で一羽が旋回している。
「オカエリ」
それは誰の言葉だったのか。黒いランドセルは確認もせず、「ただいま」と元気に間延びした声を残しながら走り去っていく。
ランドセルの持ち主は、おそらく少年だろう。けれど、それは些細なこと。急ぐ足を止めてまで、確認することではない。この辺りで、ランドセルを背負う元気な身体が向かう先は、たったひとつしかないのだから。
「シュクレーヌ様、ただいま帰りました」
細い道を抜けた先。
小さな町を見下ろす高台の一角に、緑のツタで覆われた古い洋館がある。大正ロマンといえば人は憧れを持つが、残念なことに、その家は幽霊屋敷として有名だった。とはいえ、彼らにそれは関係のない話。
雨の日は周囲に濃い霧が立ち込め、夜な夜な不気味な叫び声が聞こえると囁かれても、ここが我が家なのだから仕方がない。
それに今日は晴れている。
夏と呼ぶのにふさわしい青空と白い雲。景色は最高に照らされて、地面から屋根を目指す壁のツタも、家を覆い尽くそうと全力で光合成をしている。つやつやとした緑色の葉は、幽霊屋敷だと思えない色で、帰宅した黒いランドセルを出迎えていた。
『魔法商店まほろば』
古い木札に刻まれた文字は、長年の風化を物語り、きちんと読めるかも怪しい。
そもそも、このツタだらけで得体の知れない洋館を訪れる客人がいるとは思えない。
それでも、ここは立派な店として存在している。知る人ぞ知る魔法店として、高台の片隅に鎮座している。
「シュクレーヌ様、シュクレーヌ様?」
おそらく店の入り口だろう。
からんからんと優しい音を響かせる扉を元気に開け、瓶やら、植物やら、本やら、ガラクタで埋め尽くされた店内とは思えない室内を器用に抜けて、ランドセルを背負う少年がたどり着いたのは『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた部屋の前。
「シュクレーヌ様、魔法を教えていただく時間です」
どんどんどん、と叩いても、返事はない。
「今日こそは変身魔法を教えてくださる約束ですよ」
ランドセルを肩から下ろし、ドアに両手をあてて、ついでに右耳もくっ付けてみる。
中から物音は聞こえない。
「…………はぁ」
小さな体はあきらめた息を吐いて、それから勢いよく部屋のドアを開けた。
「シュクレーヌ様、起きてください。シュクレーヌ様」
高い声で叫びながら、小さな足は関係者以外立ち入り禁止の部屋に侵入する。
ずんずんと奥に入っていきたいが、通り抜けてきた部屋以上に散らかっているのだから、足場を避けて進まなくてはいけない。
「また、こんなに散らかして」
言いながら拾い上げたのは足の先に引っ掛かった女性の下着。
レースをふんだんに使った面積の小さなものだが、なぜこんなものがここに落ちているのかは知らない。
「シュクレーヌ様、毎日言ってますけど、洗濯物はちゃんと出してくださいよ」
慣れた光景だと、小さな手は探し人をたどるように、靴下を片方ずつ、おそらくタイツかストッキング、上着らしき服の順に回収して、山積みになった服の上に乗せる。
少しぐらりと揺れたが、最初から積みあがった服の山なのだから、崩れたところで大差ない。それなのに、どういうわけか。
「んーぅ」
騒がしいと言いたげな抗議の声は、部屋の奥ではなく、服の山から聞こえてくる。小さな手はまさかと思い、積み上げられた服の山をなんとか掻き分け、そして、白魚のように細い手を見つけた。正しくは、探し人が埋もれているのを知った。
「まったく、あなたという人は」
外見と発言の年齢が一致しない小さな身体は、積んだばかりの服の山を崩し始める。
一体どうしたら、これだけの服に埋もれるというのか。まるでタンスやクローゼットの衣類がすべて、一斉に飛び出してきたような惨状になっているのだから、そう思うのも無理はない。
「――……生きてます?」
「慎司、おかえりぃ」
カブを引っこ抜くような形で、慎司はシュクレーヌの手を引っ張っていた。もちろん抜けるわけがない。自力で起きるのを待つしかないと慎司が肩を落としかけたそのとき、意外にもシュクレーヌは両手をついて起きあがった。
「ただいま。シュクレーヌ様」
慎司は服の山を崩す形であらわれたシュクレーヌの白い肌をじっと眺める。
透き通る線の細さは女性特有の曲線を描き、しみひとつない美しい肌をしている。膨らむ豊かな胸に沿って、長い髪がゆるやかにかかり、細い手首が長いまつげをこすっていた。
れっきとした成人女性なのに、いささか無防備過ぎる気がしないでもない。
現に、気を許した猫でももう少し警戒心があると言わんばかりに、慎司は顔をゆがめた。その顔は照れるわけでも、憧れを抱くわけでもなく、心底あきれた目で深い息を吐いている。
「シュクレーヌ様、ボクは朝、学校へ行く前に、ベッドで休むように言いましたよね?」
「うーん、たぶん?」
身体をすっぽりと隠してしまいそうなほどの白銀の長い髪がゆれて、まだ完全に目を覚ましきっていないシュクレーヌの顔が少しだけ慎司を見上げる。
「言ってた気が、しない、でもない?」
「いつから埋もれてたんです?」
「んーぅ、いつからだろう?」
窓から差し込む太陽の光が、室内を舞うホコリに反射している。目をこするシュクレーヌは妖精の粉をまとったみたいだったが、日焼けを知らない白い肌は、ゆっくりと上半身を起こしたまま座り込み、立ち上がろうとしない。まだ夢の中にいるのかもしれない。とはいえ、時刻はすでに黄昏時を控えている。
師匠がこれでは、おちおち学校も行っていられないと、慎司はシュクレーヌからそっと視線を外した。
「シュクレーヌ様、服くらい着てください。お客さまが来たらどうするんです?」
「慎司がそういうと思ってぇ、服を探してたんだけどぉ」
「どうせいつものように、横着して魔法で服を選ぼうとしたんでしょう?」
「横着じゃないもん。今日の服を呼んだらぁ、全員出てきちゃっただけだもん」
開かない目で抗議されても困る。
ぺたりと座ったままのシュクレーヌの周囲には、散乱した衣類がずらりと落ちたまま。
「クローゼットやタンスの服すべてに魔法をかけるからそうなるんですよ」
「だってぇ、自分で選ぶより早いと思ってぇ」
「シュクレーヌ様は生活魔法が苦手なんですから、魔法で服に命じるより、物理的に選んだほうが早いです。それに、ボクが用意しておいたと思いますけど」
チラッと横目で見て、慎司はこれ見よがしな息を吐く。いったい、帰宅して数分で何度目の溜息になるのだろう。用意しておいた服はすでに埋もれて、どこにあるかわからない。これでは、目当てのものを探すよりも、手を伸ばして掴んだものを着るほうが早い。
「シュクレーヌ様、なんでもいいので服を着てください。魔法を教えてもらう約束です。今日こそ、変身魔法を」
「そうだっけぇ?」
「とぼけても無駄です。まさか教えないというつもりじゃないでしょうね?」
「わたしがそんな嘘をつくわけないでしょぉ。でも、今は無理ぃ。おなかすいたぁ」
ぐにゃりと溶けたような態度をとるシュクレーヌには、何を言っても無駄だと悟っている。その証拠に、慎司の態度が「降参」だと大人びた態度へ変わっていた。
「まもなく黄昏時です。開店時間の前に何を食べたいですか?」
「じゃあ、紅茶がいいなぁ」
「かしこまりました。スコーンも用意します。その代わり、服を着てくださいね」
「はぁい」と間延びした声を後にして、慎司は関係者以外立ち入り禁止の部屋から退室する。向かう先は台所以外にないが、ドアの前で捨ておいたランドセルを回収して、自室に放り込むことを忘れなかった。
「あっ、そうだった」
シュクレーヌの前と違い、年頃の男子の口調に戻った慎司は、ランドセルから転がり落ちた石を左手でつかむ。乳白色の楕円形をした石。帰宅早々、あまりの惨劇にすっかり忘れていたが、急いで帰宅したもうひとつの理由を思い出した。
「慎司。まだぁ?」
ワガママな主人は身支度を終えたらしく、鳴き声を響かせて食事をねだっている。慎司はひとまず、ポケットの中にその石を押し込んで「はーい、ただいま」と慌ただしく台所へ走っていった。
それから、紅茶とスコーンを用意し、真っ黒なワンピースドレスをまとったシュクレーヌが食べ終えるのを待って、慎司はシュクレーヌにその石を差し出す。
「シュクレーヌ様。見てください、珍しい石を拾ったんです」
「珍しい石?」
寝起きと違って、脳が覚醒したシュクレーヌの声は、先ほどよりもずっとよく透き通って聞こえる。それでも通常の人より遅い口調であることに変わりない。慎司はわかりやすく、シュクレーヌの目の前に石を置いた。
「あら、本当に珍しい。星涙だわ」
「せいるい?」
シュクレーヌの意識が楕円形の石に向いて、カップから指が離れる。そのすきを見て、慎司はさりげなくそのカップを引き下げた。引き下げたカップに紅茶のおかわりを注ぐ手つきは、慣れた執事か給仕係のそれだが、慎司は日課であるシュクレーヌの世話を平然とやってのける。シュクレーヌも世話をやかれることに慣れているから何も言わない。
その代わり「星涙は、星になりそこねた精霊のことよ」と、乳白色の石に手をかざしながらシュクレーヌは慎司の質問に答えていた。
「ここまで結晶化した精霊は見たことがないわ。大抵は蒸発して消えちゃうか、食べられちゃってダメだもの。無事に結晶化してよかったわね。慎司、この子をどこで拾ったの?」
すでに石に対して「この子」呼びをするシュクレーヌではなく、慎司は視線を石に向けて、その出会いを思いおこす。
「学校のウサギ小屋で」
「慎司は動物にモテるわねぇ」
「変なイキモノが入ってきたと大騒ぎしていたので足を運んだだけです」
シュクレーヌの言葉を無視して、慎司は数時間前の記憶をさかのぼる。夏休み目前の外は炎天下。校庭の端にあるウサギ小屋まで好んで足を運ぶ生徒はいない。それなのに、しきりに「タイヘン、タイヘン」と騒ぐ声を聞き、「変なイキモノ、コワイ」と嘆く声を聞き、「ハヤク、助けて、はやく、ハヤク」と鳴く声を聞いていれば、さすがに違和感を覚えて足を運ぶ他ない。
慎司がウサギ小屋へついたときには、騒がしかった声の主は消えていた。小屋の奥には、怯えたウサギがいるだけ。いったい何に怯えているのか。よく観察してみると、片手で包めるほどの乳白色の石が転がっていた。
「帰ってシュクレーヌ様に見てもらおうと思って、すっかり忘れていました」
慎司は、躊躇なく石に触れ、何事も起こらなかったので持ち帰ってきたと説明する。
シュクレーヌは乳白色の石に手のひらをかざして、じっとそれを聞いていたが、慎司が話し終えると「ふぅん」と意味ありげに呟いて、それから紅茶を口へ運んだ。
「役目を終えた精霊は、星になって女神のもとへ還る子が多いのだけど、この子はどうにも力が足りなくて、そこで力尽きちゃったみたいね」
「ボクの学校のウサギ小屋で、ですか?」
「きっと慎司の力を感じ取ったのだと思うわ。慎司、動物に好かれるから」
ふふっと、穏やかに笑うシュクレーヌの声を聞きながら、慎司はじっと石に視線を落とす。つるりとした表面の乳白色は、元が精霊だと言われても名残はなく、想像しにくい。慎司からしてみれば、それはただの石にしか見えず、まして小動物が恐れるような異物とも思えなかった。
「魔法用の素材として売れば、百万くらいにはなるかしら」
「ひゃっ、百万ですか?」
それはどれほどの生活費になるのだろうか。慎司の脳内でゼロの桁が躍っている。
「ムーンストーンに似ているし、宝石としてアクセサリーになっている子も多いから、そういう加工もありだと思うわよ」
「ほ、宝石」
自分が何気なく持ち帰った石に、そんな価値があったのかと、慎司が感じた衝撃は大きい。宝石だとしても、素材だとしても、ランドセルを背負う小学生が簡単に入手できるものではないのだと、今さら気づいたようだった。
「慎司ってば、なんでも出来ちゃうのに、そういうところはまだ幼くて可愛いわぁ」
「からかわないでください」
「あら。褒め言葉よ」
いくつになっても何もできない私がいうんだからと、続く言葉には納得でしかないが、慎司はシュクレーヌの言葉が遠く聞こえるほど、星涙という石に夢中だった。
時刻が過ぎるにつれ、部屋の中は暗くなっていく。
黄昏時は色鮮やかな赤い光から夜更けの紺色を空ににじませていく。
すると、それまで乳白色だった石の表面に青みが増して、キラキラと光沢をまとい始める。テーブルの上に置かれたそれは、たしかに宝石といわれてもうなずける品だと思えるようになってきた。
「人間界ではロイヤルムーンストーンなんていわれることもあるわね。月の力を秘めていると言われていて、旅人の石としてお守りとすることもあったと思うわぁ。宝石言葉は、幸運だったかしら」
「でも、これは宝石じゃなくて星涙なんですよね?」
「正確にはそうねぇ。でも、そんなこと些細な違いでしかなくてよ」
何がどう、些細な違いでしかないのか皆目見当もつかないが、慎司はシュクレーヌの声と石の価値を脳内で結び付けていく。
魔法の素材として売りに出すか、アクセサリーとして身に着けるか。
金額で言えば断然前者だが、慎司はなんとなく店頭にこの石を並べたくなかった。明確な理由はない。ただの感覚でしかない。はっきりいって、シュクレーヌは生活能力が欠落している。金銭的な余裕はないのだから、売った方が絶対にいいとわかっている。それでも、「早速、売りましょう」と言えない自分がいることを慎司は自覚していた。
「ごめんください」
「はぁい。慎司、お客さまが見えたわ」
テーブルの上の石とにらめっこしていた慎司は、まだ「開店」札をかけていないのに来訪した客を出迎えるため、店へと顔をのぞかせる。
「いらっしゃいませ。ようこそ、ハクガラス様、魔法商店まほろばへ」
そこにいたのは、学校からの帰り道で頭上を飛んでいた白いカラス。「オカエリ」と声をかけてきたカラスと同じ気配を感じるが、今は人間のように二本足で立っている。
「慎司、今日は随分と楽しそうだったけど、何かいいことでもあった?」
「別にいつも通りですよ。シュクレーヌ様に魔法を教えてもらう約束でしたけど、結局、身支度を終えられたのは先ほどです」
「ははは、それは災難だったね」
白いパンツとシャツという軽装なのに、洒落て見えるのはモデル顔負けの美しい容姿のせいだろう。人間の年齢で言えば二十代後半ともいうべきか。とにかく美しい男は、慎司の後から続いて店に入ると、我が物顔でカウンター席のひとつに座った。
「いつものでよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
にこりと、人当たりのいい朗らかな笑みを浮かべて、ハクガラスは慎司がカウンター内で動き回るのを見つめている。時々、店内をゆっくりと見渡して、それから自分の爪をじっと眺めて、慎司が目の前に包みを置くタイミングで、再び顔を戻してきた。
「今日は、学校の方で何か不思議なことが起きなかったかい?」
「不思議なこと、ですか?」
慎司は包みから顔をあげたが、特に変わった様子も見せず、いつも通りの態度で電卓をたたき始める。
「不思議なことは毎日起きていますよ」
愛想で誤魔化すのは、シュクレーヌの教えといえばいいのか。この店にやって来る客は、普通の人間ではない。人間社会に溶け込んだ異形のもの。または、その世界でしか生きられない人外ばかりが訪れる。
「ウサギ小屋の子どもたちに聞いた。もしかして、精霊の子を拾ったのではないか?」
「精霊の子?」
「そうだ。あれはいい。百年に一度生まれる精霊の子は美味だぞ」
こういうとき、どれほど見た目が人間に似ていようと、人外であるのだということが明確にわかる。黒い眼球に金色の瞳孔を横に浮かべたその顔は、興奮を宿して、獲物を狩る捕食者の気配を隠しもしない。
「白の帝王、ハクガラス様ともあろう人が、精霊の子を食べるんですか?」
「我々は雑食だからな」
口角をあげながら、瞬きのしない顔に見つめられて、慎司は「はぁ」と深い息を吐き出した。
「残念ですが精霊の子ではありません」
「隠すとロクなことにならんぞ、人の子」
慎司が口にした台詞は嘘ではなかったが、ハクガラスの求める答えでもなかったらしい。金色の瞳孔が、自慢の爪を伸ばして、慎司のノドを切り裂こうとしている。
「隠してなんかいませんよ。ウサギ小屋にあったのは、ただの石ですから」
「ただの石……星涙石か?」
「そうらしいです。お買い求めをご希望であれば、百万からだとシュクレーヌ様が」
うーんと、唸る声が獰猛な雰囲気を一層していく。
あれほど化け物に近い様相を構えていたのに、今はまた元のイケメンと分類できる人間の様相に戻っている。
「石になってしまったのなら、魔法素材にしかならないね。ボクは遠慮しておくよ」
「アクセサリーにもできるそうですよ?」
「冗談だろう。それなら人間界に出回っているムーンストーンの方が安いし、宝石はあいにくとたくさん持っているんだ」
もう用は済んだといわんばかりに、ハクガラスはカウンター席から立ち上がる。店の出口へ向かう前に慎司の用意した包みを手に取って、人間らしく財布を取り出す仕草でポケットから札束を取り出し、数枚をカウンターに置くと、振り返ることなく「また来るよ」と去っていった。
慎司はハクガラスを見送ると、「開店」札をかけるために店の外へ出る。
その際、異常なほどの暗闇に覆われたので、慌てて後ろに飛びのいた。
「申し訳ありません」
姿勢を正して、慎司は謝罪を口にする。扉の前には真っ黒の客人が立っていて、慎司は無意識にその客人の中へ飛び込んでいたのだから、当然といえば当然の対応だった。
おそらく、開店を待っていたのだろう。
慎司は開店札をかける了承だけもらって、黒い影を店内へ招いた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、倉影の宮様、魔法商店まほろばへ」
その客人は、黒いシルクハットをかぶった全身黒ずくめのヒトだった。影といった方がいいかもしれない。黄昏時に伸びる影に似て、頭の先から足の先まで真っ黒で、慎司の身長の三倍はある。ぺらりと薄く、風が吹けば飛んでしまいそうだが、その影は帽子を脱いで優雅に腰を折ると、慎司の進めた店内のカウンター席に腰かけた。
「三日月藻の薬草と、火喰いトカゲの尻尾ですね。取り寄せておられる、闇煤(やみすす)の花粉は入荷が来週になります」
客が声を発する前に、慎司はカウンター内を器用に動き回り、商品を次々と並べていった。影は商品を手に取り、厚みのない自分の体に収納していくが、代わりに真っ黒で不均等な石をカウンターの上へ置いていく。
「黒曜石ですね。買取希望ですか?」
うんうんとうなずく影を確認し、慎司はシュクレーヌの名前を呼んだ。
「いらっしゃぁい、倉影の宮様。そろそろ持ってきていただける頃だと思ってたわぁ」
やはり喋らない影を気にも留めず、今度はシュクレーヌが会話を続ける。
はたから見れば、独り言を繰り返すおかしな店員だが、口どころか目、耳、鼻のない客人相手ではこれが普通の接客なのかもしれない。
「今日は宝石に縁がある日ねぇ。いいえ、こっちの話。買取価格だけど、これくらいでいかがかしら?」
うんうんとうなずいているところを見る限り、それは了承と受け取っていいのだろう。シュクレーヌの鑑定結果に文句がないのであれば、話は早い方がいい。
「では、本日の代金と差し引きまして、お会計いたします」
慎司は黒い影から会計金額を受け取り、店の外まで見送ると、「ふぅ」と小さな息をこぼした。今日は、最初がハクガラスだったために感覚が狂いがちだが、本来は倉影の宮のような客が一般的で、脅されるようなことはほとんどない。怖いものは怖いが、怯えが彼らの大好物であることも事実として知っている。
慎司は平常心を取り戻すため、夜の匂いがする外の空気を吸って店番に戻った。
その後も、緑と紫を混ぜた不思議な色の蝶、スライム状の液体、不死の体を持つ老人などがやってきて、慎司は店を切り盛りしながら、シュクレーヌの補佐を務める時間が続いていく。
「慎司、そろそろお食事の時間にしてちょうだい」
「かしこまりました。では準備してまいりますので、店番をお願いいたします」
「はぁい。シュクレーヌ様におまかせぇ」
のんきな声で送り出されると、昼間の様子が思い起こされて心配になる。
しかしそこは、さすが師匠というべきか。シュクレーヌがひとりで店番する時ほど滅多なことは起こらない。いつも通り、へらへらと無防備なシュクレーヌの姿があるからこそ、慎司も日常を取り戻せるのだと、どこかホッと息を吐きながら夕食の準備にあたっていた。
「ん?」
虹色のそうめんを湯がいて、薬味を用意し、卵焼きや蒸し鶏のサラダをお皿に盛りつけていると、店の裏口を叩く音がして、慎司は首をかしげる。どんどんどんと音が続く以上、気のせいではないらしい。とりあえず店の裏口に足を運んでみる。
そして、扉を開けた先の姿に慎司はがっくりと肩を落とした。
「やあ、慎司。シュクレーヌはいるかい?」
客として用があるなら、他の客と同じように来店してくれるとありがたい。そんな言葉はおそらく通じないだろう。面倒な客ほど店員の都合を考えずに好きな場所から来店を告げる。そういうものだ。
「モグラ男爵様、いらっしゃいませ。シュクレーヌ様は店の方におりますよ」
言いながら、慎司はその名前の通りモグラに似たイキモノを家の中に招き入れる。
茶色の毛が覆う肌に黒の丸いサングラス、杖をついて歩く身体は、明るい室内が見えていないらしい。温厚な雰囲気は憎めない愛らしさを放っているが、巨大なクマと同じ質量が家の中に入ると、色々と窮屈に感じてしまう。
「本日は何がご入用でしょうか?」
「なに、今度息子が結婚するんでね。良い魔法石がないかと思って」
目が見えないモグラ男爵は杖をつきながら散らかった部屋の中を器用に進む。
慎司の案内通りに店の方へ移動してくれるが、そのときふと足を止めて、鼻をすんすんと動かし始めた。
「におう、におう」
「何かお気になさることでも?」
「慎司、精霊の子の匂いがする」
またか、と。慎司はハクガラスのときを思い出して脱力する。
「ハクガラス様も同じようなことを言ってましたけど、精霊の子はそれほど価値のある存在なのですか?」
「なんだ、知らないのか、慎司。魔法使いになりたいなら、精霊の子は一度食べたほうがいい」
魔力強化素材とでもいいたげなモグラ男爵の背中に回り、慎司は店の方へとその巨大な身体を押していく。モグラ男爵は、これくらいのことで怒りはしない。むしろ裏口から入ってくるたびに何かと足を止めることが多いので、慎司が背中を押して店の方まで誘導するのは慣れた光景のひとつでもある。
「シュクレーヌ、この店には精霊の子がいる」
「あらぁ、さすがお鼻がききますわねぇ」
のんびりとしたシュクレーヌの出迎えに、モグラ男爵が背中を押す慎司に向かってウインクをした。クイズ番組で正解したわけでもないのに、どう反応するのが正解か。悩む慎司より先に、ふわりと場違いなほど柔らかな声でシュクレーヌがモグラ男爵に話しかける。
「でも残念、精霊の子じゃなくて、星涙石なのよねぇ」
「なんだ、ただの魔法素材か」
「百万ほどでお買い求めいただけますよぉ?」
「いらんいらん。今日は息子の結婚祝いに魔法石を買いに来ただけだ」
「それなら、今日入荷したばかりの黒曜石に何かまじないを込めましょうか?」
「そうだな、そうしてくれ」
それがいいと、モグラ男爵は意気揚々とした態度でカウンター席に腰かける。
シュクレーヌは、倉影の宮から買い取ったばかりの黒曜石をひとつ取り出すと、モグラ男爵の前に置き、両手をかざして小さな声で詠唱を始めた。
それは子守唄のように優しく、そよ風のように心地いい。
空気の流れがゆるやかな線になってシュクレーヌの元へ集い、黒曜石に吸い込まれていく。やがて、丸い光の渦となってシュクレーヌの両手の中で形を変えた。
「幸せの道しるべとなりますよう、願いを込めました」
どこからどうなってその形になったのかわからないが、懐中時計の形に変貌を遂げた黒曜石を見て、モグラ男爵も満足げな表情を浮かべている。
「さすが東国イチの魔女だな。シュクレーヌ、いい仕事をする」
「ありがとうございます」
「慎司も、これだけの魔法を扱う魔女の元で修業ができて、将来が楽しみだな」
「もっと言ってください。このままではシュクレーヌ様のお世話ばかり上達します」
「魔女の弟子とはそういうものだ。慎司はドラゴンに変身したいと歌っていたな。大層な夢だが、一人前になる日を楽しみにしているぞ。代金は置いていく、またな」
モグラ男爵は来た時と違い、店の正規の出入り口から帰っていく。
慎司はシュクレーヌと一緒にモグラ男爵を見送って、それから食事の支度が整ったことを告げた。
「それなら、今日はもう店じまいにしましょう」
「え、いいのですか?」
時刻はまだ夜の九時をさしたばかり。店はこれからが忙しくなるというのに、閉めてしまっていいのかと慎司は疑問をそのまま口にする。
「いいのよぉ。どうせ気まぐれにしか開けない店なんだから、閉めたところで問題ないわ」
身もふたもない発言だが、店主であるシュクレーヌのいう通り、決められた時間に開業しているほうが少ない気もする。臨時休業はたしかによくある話だと、慎司はひとつうなずいて、開店から閉店を意味する札へと変えた。
「食べたら、お出かけするわよ」
「出かける予定なんてありましたか?」
「ううん。さっき、決めたの」
本当に気まぐれだと諦めるしかない。シュクレーヌはいつも突然、思いつきを発言し、それを行動に移すところがある。昨晩も急に新しい魔法を思いつき、魔法陣を描いているうちに朝を迎えたようだった。これはもう、シュクレーヌの性格として受け入れた方が早い。
そんなわけで、慎司はシュクレーヌに連れられて、夜の十一時を回るころには空を飛んでいた。魔法使いらしくホウキで飛びたい慎司と違い、座り心地が嫌いだというシュクレーヌの意向で、魔法のじゅうたんで空を浮遊している。
「どこに行くんですか?」
「んー、精霊の池ぇ」
「は?」
その一言は、前振りなく急降下を始めた魔法のじゅうたんの上で、言葉にならない息をのんだまま連れていかれた。
「なっ、中身が全部出るかと思った」
降り立ったのは真っ暗な森の中。周囲を深い山が囲んでいるが、よほどのことがない限り、真夜中近い時間帯にイキモノが訪れる場所とは思いにくい。
目の前には月光を反射する水面。
大きくも小さくもない池は、静かにそこで眠っている。
「もう、慎司ってばぁ。大丈夫?」
肩で息をする慎司を横目に、シュクレーヌは平然と魔法のじゅうたんを丸めて、魔法でそれを消していた。
「ほらほら、しっかり立って。変身魔法、覚えたいんでしょ?」
「い、今、ですか?」
「そうよぉ。そのためにここまで来たんだから」
マイペースもいいところだと、慎司は胸やけを起こす身体を奮い立たせてシュクレーヌの前で立ち上がる。胸元にシュクレーヌの腕が伸びてきてギョッとしたが、その手が離れたそこには、例の星涙石をあしらったブローチがつけられていた。
「シュクレーヌ様、これ」
「この子は慎司の力になりたいの」
だから大丈夫だと、訳のわからない理由で慎司はシュクレーヌに言葉を奪われる。
「慎司くらいの年頃だと変身魔法はとても難しいの」
「……はい」
「あなたは才能もあるし、器用だけど魔力コントロールが苦手でしょ。それをこの子が補ってくれる。ほら、イメージして。この子は星にはなれなかったけど、あなたの新たな魔法として、きっと素敵に輝くわ」
シュクレーヌの指導は合図なく始まることが多い。今日に限らず、慎司の計画通りに進んだことはないといった方が正しい。そういう意味では、慎司にも免疫や耐性がある。
夜の森、月を反射する池。夏の夜空の下で、慎司はシュクレーヌの唱える魔法と同じ言葉を復唱する。それは言語というより、頭に浮かぶ文字を反芻している感覚と似ている。らららが続く歌と同じ、音が口からこぼれていく。
そのうち、胸に感じる温かな何かが光の渦となって慎司を包んでいた。
「あらぁ、とっても素敵」
光が去った場所から現れた慎司の姿は、人間だった面影を感じられない。
胸元に光る楕円形の石。青みを帯びた乳白色が慎司であることを証明しているものの、シュクレーヌの瞳に映るのは、どこから見ても人間ではない別の姿だった。
「ごらんなさい」
シュクレーヌがすすめる水面を恐る恐る慎司は覗き込む。
その目は期待に満ちて輝き、興奮を宿して鼻息を荒くしていたが、自分の姿を認識するなり、しんと無表情で立ち尽くしていた。
「可愛いわぁ。慎司ってば、どこからどう見ても、バンビちゃんよ」
小鹿。背中に斑点のある小さなシカが水面に映っている。
愛らしいシカは前足をじたばたと踏み鳴らして何かを訴えているが、シュクレーヌはくすくすと笑うだけ。
「仕方ないでしょ。慎司はまだ子どもなんだし、魔法だからといって急に大人にはなれないわ。成功したんだからいいじゃない。わたしは可愛くて好きよぉ」
よしよしと頭を撫でられた慎司が、どのような言葉でシュクレーヌに訴えているかはわからない。その声は人間ではない言葉を響かせ、水面に反射する自分の姿を威嚇している。
「心配しなくても、真夜中を過ぎれば元に戻るわよぉ」
真夜中まであと数分。小さな魔法使いの願いを叶える星が、胸元で笑った気がした。
≪完≫
あとがき
最初は慎司は、可愛らしいアランという少年だったのですが、より舞台情景を明確化させるために今の姿に落ち着きました。大好きなファンタジーの世界観が伝わったらいいな。

プロムナードとは
遊歩・散歩を意味するプロムナード。「日常の中にほんの少しの非日常を」というコンセプトを元に、短く仕上げた物語たちのこと。皐月うしこオリジナルの短編小説置き場。
※文字数については各投稿サイトごとに異なる場合があります。
※読了時間については、1分あたり約750文字で計算しています。

