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読切「またキミに触れる日まで」

概要

2021年5月に刊行された神無月愛さま主催の「本と願いアンソロジー『希求書架』」参加作品となります。
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またキミに触れる日まで

読み:またきみにふれるひまで
公開日:2021/05/某日
ジャンル:ファンタジー
文字数:約6200字
読了時間:約8分
タグ:禁術/恋愛/禁断の恋/呪い

Story本の虫と名高い黒髪の少年シモロワが、レリーフ城のロアン王から「1359ページに基づき創世を綴る」禁断の教典を受け継いだ時のはなし。

本編「またキミに触れる日まで」

 レリーフ城は辺鄙な大地に建設されていた。
 周囲は荒れた土地が広がり、鉱脈や湖畔があるわけでもない。暮らしには不向きな場所。それでもレリーフ城に住むロアン王は心優しく、天災や戦で行き場のなくなった人々の救済となる家を与えた。
 親しみを込めて王と呼称されているが、ロアン王は実際の王ではない。
 街は人々が自発的に助け合って成り立っている。今でもレリーフ城の城下町に暮らす人々が穏やかな生活を送っていられるのはきっと、ロアン王の持つ目に見えない恩恵によるものなのだろう。
 地図には載らない幻の街。噂ではロアン王は常に分厚い本を持ち歩いているという。海の底から取り出したような深い藍色に金の箔押し。四六時中そばに置き、寝るときも、食事の際も隣にあるという。かと思えば、美しい女性と談笑しているとも囁かれている。
 紺色のドレスに柔らかな金色の髪。時折、二人は微笑みあってキスを交わし、何か不思議な光に包まれていくらしい。
 すべてが語り継がれる童話と同じ。
 本当か嘘かは関係ない。伸ばした指先が求めるままに触れ、手に入る幸せがあるのなら、人はそこに夢を見る。
 これは蔵書に刻まれた最初の一文を引用したものである。古い記憶をたどるように残されたのは、暗く寂しい闇の底から。

  * * * * * *

 静寂な夜。
 廃墟の教会。音の鳴らないパイプオルガン。崩れた十字架の下で眠る女。名前はレリーフ。
 レリーフは永い眠りについたはずだった。深い夢を見るはずだった。
 割れたステンドグラスから差し込む月の光は、重厚な音楽を奏でるように深く垂れ込めている。淡い金色の中から見る景色は、いつもどこか歪んでいて、いつもどこかほの暗い。伸ばした手の指先が、なにかをつかむ前に空虚をつかんで、光は同時に霧散していく。
 どれほど腕を伸ばし、どれほど心が叫んでも、触れることが叶わないものはあるのだと、届かないものがあるのだと書き足しておくべきだろうか。
 それでも、どこに。
 目に見えて残るわけではない記憶の一部を鮮明に、繊細に、温度と感傷を伴って伝えるにはどうするべきだろうか。わからない。しかし、方法がないわけではない。
 あるひとつの可能性を具現化出来るなら、限りない悠久のときを生きるものとして、いつかそこにたどり着けるかもしれない。
 それは、希望。
 古い記憶を代々受け継いできた、本としての義務と役割。

「目覚めたか?」

 戸惑いとためらいをもって呟かれた言葉は、不思議と高揚した音を連れて聞こえてくる。
 少し低い男の声。
 光が去ったあとの暗闇のなかでその声を認識できたのは、古い記憶に残る一説の引用にすぎない。

「どうだ?」

 誰に問いかけているのか。
 何を問いかけているのか。
 状況も、状態も判断できる材料はなにひとつとして与えられていない。自分はどこにいて、誰と対峙しているのか。

「わかりません」

 最初に聞こえた男とは違う声が、レリーフの心をそのまま言葉で表していた。
 静かな世界。空気はざわめきを潜めて、固唾をのんで傍にある。居心地は悪くないが、よくもない。つまり判断できる材料が空気と音だけでは限界がある。

「まっ、マクルド中将、目覚めのようです」

 慌てた声が興奮を隠しもせずに最初の男に呼びかける。その言葉通り、レリーフはまぶたに力を込め、指先を少しだけ動かしていた。
 ざわり。波紋に似たどよめきが広がり、レリーフの行動を見守っている。

「レリーフ・・・っ、わたしが誰かわかるか?」

 目を開けた先で最初に見たのは黒髪の青年。黒曜石をはめ込んだ端正な顔は、黒いマントを揺らして近付いてくる。ついで伸ばされたその指先には、髪や瞳と同じ黒い手袋がはめられていた。
 全身を黒に染めた影。それでも光を見ている気分にさせられるのは、柔らかな声と煌めく瞳の美しさのせいだろう。

「ワカリマセン」

 レリーフは男の問いかけに応えた。

「ワタシのナカにアナタの情報はアリマセン」

 そうか。男はどこか悲しそうに目を伏せると、再び宝石と同じ輝きで見つめてくる。
 不思議と怖くはなかった。
 なぜかと問われても「ワカリマセン」と容易に浮かぶほど、言い様のない柔らかな感覚に包まれている。

「わたしの名前はロアン・マクルド。新しい持ち主だと言っておこう」

「ロアンマクルド。所持者名を変更シマシタ」

 ロアンと名乗った男の顔が今にも泣き出しそうに見えるのはなぜか。レリーフは感情に触発される疑問を浮かべながら、気付けば腕を伸ばしていた。
 腰までのびた金色の髪が流れ、深い海を思わせるドレスが揺れて、白く細い指が視界の端にうつる。そこではじめて、レリーフは自分のからだがロアンとあまり年の変わらない人間の女性であることを知った。

「マクルド中将!?」

 ロアンに触れる手前、周囲で待機していた武装兵に銃口を向けられる。レリーフの視界にもそれらは入っていた。
 それでもレリーフがロアンに触れることが叶ったのは、ひとえにロアンが部下を牽制したからに他ならない。
 見つめあったまま動かない二人。
 前ふりなく頬を撫でられたロアンと、頬を撫でたレリーフは互いに驚きを隠さないまま時間を止めている。状況判断に混乱しているのか、誰も一歩も動かない。
 静寂な夜は静寂なまま、数分前と変わらない空気でそこにある。割れたステンドグラスの月明かりは足元に歪んだ幻想を描いているが、壊れてしまった元の形はわからない。悲しんでいるのか、慈しんでいるのか、目の前にある黒い宝石の真意がわからないのと同じ、夜の気配が支配している。
 そんな中、最初に空気を動かしたのはレリーフのほうだった。

「所有者ヲ認識シマシタ。ロアン・マクルド。ワタシの名前はレリーフ。1359ページに基づき創世を綴る者。ロアン・マクルド、ワタシと盟約の絆を交わしマスカ?」

 ロアンの瞳には、金色の瞳を持つ美しい女性が映っている。ビロードに揺らめく髪、華奢な曲線。か弱そうに見えて意思の強さを放つ双眼。
 かつて世界創造の際に神が書き残したとされる最古の書物『創世記』は、何億年と巡る歴史の影に隠れてその形を変えていた。星、石、土、後世の神々が参考にしたとされる創生のための教科書は、いつしか人間の手に渡り、一部の人間に語り継がれてきた。その教典を守るため海に沈んだ国もあれば、教典を奪い大地を占めた国もある。
 人はそれを指輪と呼び、剣と呼び、王冠と呼び、女神と呼ぶ。勝利を授ける不確定要素として周囲の目に触れながら、実体をさらさない存在。
 それが創世記。今の名をレリーフ。

「最後のページにわたしの名が記されるその日まで、ともにあることを誓う」

 新たな所持者になることを承諾したロアンの言葉に、レリーフの顔が唇を寄せていく。ゆっくりと、幻想的な廃墟の光に導かれるように二人は静かなキスを交わした。
 ところが、それと同時に地面を割るほどの揺れがレリーフたちを襲う。

「まるで悪の結婚式だな」

 絵画よりも美しい顔で笑うロアン。
 崩壊寸前の廃墟は天井から瓦礫を落としているというのに何も怖くないらしい。それはなぜか。問いかけようとしたところで、名前のない兵士がロアンの方へ走りよってきた。

「マクルド中将、ミスガルドの軍勢に囲まれています」

 切迫したその声に触発されて、ざわめきは大きく波のように広がっていく。

「くそっ、あいつら。もうこんな場所まで」

「ルファーニ総督の飛翔兵が見えるぞ」

 指差す方向に見えたのは、伝承に名高い竜の群れ。火を吹き、氷を吐く竜のうえには武装した人間が乗っている。

「フェアリの民が背に他のイキモノを乗せているとは」

「レリーフ?」

 瞳から色を失ったように見えたレリーフの気配に、ロアンが心配そうな顔を寄せる。もともと唇がふれ合うほど近くにあった顔は、やはり神に愛された造形美だと称賛せざるを得ない。

「・・・なんデモありません」

 なぜこんなにも鼓動が高まるのか。
 聞きなれない音が自分の体の内側から聞こえる現象に名前をつけるなら、思い当たるものは複数存在する。

「そういう顔は、まるで本物のキミだね」

「ロアン?」

 今度はレリーフがロアンの姿を金色の瞳に封じ込める。
 悲しそうに微笑む顔には胸が締め付けられるが、その黒曜石を見つめていると、やはり温かくて心地いい。

「二度もキミを奪わせはしない」

 抱きしめられた体に、ロアンの記憶がなだれ込んでくる。
 遠征の途中、足を止めた小さな村で穏やかな愛に気付いた兵士と宿屋の娘。若い頃のロアンとレリーフによく似ている。結婚を誓い合ったその夜、レリーフは連れ去られ、どこかの地下神殿で目を覚ました。
 周囲には同じような女性がどこかの組織によって集められ、誰もが悲壮に顔を曇らせていた。なぜか。断末魔の叫びと共に次々と数を減らしていく事態に、現状認識はそう難しい問題ではなかった。

「本の器となることで昔のキミではなくなったのかもしれない。それでも、わたしは信じている」

 黒い瞳が何を訴えていたのか。訴えているのか。レリーフは、失った器の記憶を探るように目をまたたかせる。
 見つかりそうで見つからない。
 伸ばした指先は、金色の光のなかで掴めない何かに触れたがっている。

「さて」

 不敵に笑ったロアンが顔を上に向ける。
 それにならったレリーフの瞳にもその光景は映っていた。砲撃に戸惑いの声が渦巻く廃墟の上空、飛竜の戦士が詠唱を始めたことによって現れた、大きな円形の模様。

「あれが放たれるとわたしたちは一貫の終わりだ」

 相変わらず心地よく響く声だと思う。
 レリーフは目覚める前の記憶を持っていない。器の記憶はもちろん、前の所有者の記憶もない。
 あるのはただ、書物として綴られた文字だけ。

「レリーフ、我はページをめくる者。我に刃向かう者を殲滅せよ」

 隣から命じてきた声に身体が勝手に反応する。

「はい、ロアン。では、564ページに綴られし炎の書を引用します」

 正しく願われた言葉はレリーフを金色の光で包み込み、次いで、突如として胸元から躍り出た1359ページの厚みを持った半透明の本を風の勢いでめくっていく。
 青白く透き通る本の表紙には、金の箔押しで『創世記』と記されていることだろう。

「抜粋、炎帝」

 レリーフが告げた言霊は、一瞬にして周囲一帯に炎の竜巻を引き起こす。炎の柱に守られたロアンとレリーフを中心に、仲間は敵の攻撃を食らわずに済んだようだった。
 その代わり、飛竜に乗っていた敵の一陣は天に上る炭となって黒の色で散っていく。
 再び訪れた静寂な夜。
 人外の力を宿すレリーフを見つめる目は様々だった。畏れ、敬い、驚き。変わらないのは、なぜか片時も離れようもしないロアンの優しい眼差しだけ。

「レリーフ、彼らを安全な場所へ」

「はい、ロアン。では971ページに綴られし空間の一部を引用します。抜粋、帰還」

 レリーフの声に連動しているのか、またページのめくれる音がして、半透明の青い本が金色の光を放つ。今度はロアンとレリーフだけをその場に残して、周囲の兵士たちはこつぜんと姿を消していた。

  * * * * * *

「懐かしい記憶だ」

 目の前のロアン王は当時の面影を残したまま優美に笑う。かたわらには美しい女性。
 場所はレリーフ城内にある王の寝室。
 一夜にして消滅した飛竜軍に、ミスガルドは停戦を申し入れたとされ、世界は束の間の平和を過ごしていた。ところが最近になって、再び不穏な噂が流れ始めている。理由は目の前で床に伏す王の状態のせい。影の支配者と名高いロアン王が病気のために起き上がれない生活を送るようになってから。

「シモロワ、レリーフをお前に授ける」

「ロアン様」

 白髪になり、すっかり骨と皮だけになったその肌にシミが広がっても、黒曜石の瞳は輝きを失わずにそこにある。しかし、それもじきに拝めなくなるだろう。
 本人もそれがわかっているのか、まだ自分の意思で言葉が紡げるうちにと、年若い男を呼び寄せていた。それがシモロワ。
 帝国ガルディナで本の虫と名高い黒髪の少年。

「レリーフはかつてわたしの婚約者だったが、今は最古の書物として形を成している。わたしは探した。レリーフを再び人間の姿に戻し、本をあるべき場所に返す手だてを。しかし人間とは脆く儚い。わたしは病気を患いこの有り様だ。ずいぶん年もとった。どうかわたしの思いを引き継いで、レリーフを助けてやってほしい」

「なぜ、面識のないボクに託すのですか?」

「レリーフが選んだ。わたしの最後の願いを叶えるために」

 かすれた息のような声でも、拒否を許す気負いはない。必ず承諾してもらえるとわかったうえで願い事を口にしているのだから、王もなかなかに器が座っている。

「創世記とされるレリーフを解き明かせば、貴様の知りたい世界に触れられるだろう」

「それは」

「レリーフ、所有者の変更を」

「待ってください、ロアン王」

 シモロワが言葉にするよりも早く、レリーフの前に半透明の本が現れる。窓の閉じた室内にも関わらず、どこからともなく風が吹き、ページのめくれる乾いた音が響いていた。

「はい、ロアン。では8ページに綴られし、契約の譲渡を引用します。抜粋、寄贈」

 実際に体験しなければ、この感覚は誰にも伝わらないに違いない。どれだけの書物を読みあさっても、現実に得る熱量は言葉では尽くしがたい。

「これで所有者はシモロワ・アグリードに変更されました。では、ロアン。権利を失ったため1359ページに綴られし最後の言葉を引用します」

 レリーフが次に何をしようとしているのか。力を共有されたシモロワにもわかってしまった。それでも、止める手だてはどこにもない。
 眠るロアン王に重なり落ちるレリーフの唇が金色の髪の向こうに消えて、そして静かに告げられる。

「抜粋、永眠」

 レリーフの吐いた言葉がベッドに横たわるロアンを包み、魂を吸い上げたあと、本は最後のページをぱたりと閉じた。その金色に流れる長い髪の横顔が泣いている気がして、シモロワも失くした言葉を探している。
 静寂。死者と生者と狭間の者。
 時は変わらず流れているはずなのに、まるですべてが止まってしまったかのように、そこにあるのはただ静かな空気だけ。絵画に描かれた男女の肖像画は、それぞれ違う物語を思い浮かべてそこに貼り付いていた。
 最初に声を発したのは、本と融合した哀れな女性。

「ワタシの名前はレリーフ。1359ページに基づき創世を綴る者。シモロワ・アグリード、ワタシと盟約の絆を交わしマスカ?」

 涙をみせないその顔は、本としての義務と役割をこなそうと、淡々とした態度で向き合ってくる。まるで、今しがた愛する人を一人殺したことなど忘れてしまったかのように。平坦で滑らかな業務をこなしている。
 その昔、神が世界創造の方法を記したとされる最古の教典。しかし愛に絶望した神によって、そのページだけがどこかに封印されているという。
 愛を失くした書物は愛を求めて愛を奪うため、長く禁書とされ、地下神殿で厳重に保管されていたが、三十八年前、当時のミスガルドの王が覇権欲しさに掘り起こし、中将の婚約者を喰ったとされていた。

「ううん、交わさない」

 シモロワは首を横にふっていた。

「だけど約束する。ボクはいつか再び、キミとロアン様を会わせるよ。愛だけが破りとられた呪いの教典。創世記に残された最初の愛をボクは知りたい。だからボクはそのページを探して、キミと旅に出ようと思う」

「はい、シモロワ。所有者はアナタです」

 レリーフは寂しそうに笑ってシモロワの前で閉じたままの本に触れる。
 分厚い本は、レリーフのドレスと同じ海の底に眠るように古びた藍の色を宿し、レリーフの髪と同じ金の箔押しを施していく。やがて、眠る王の横に落ちたその本をシモロワは拾い上げ、ひとつ頭を下げてからその城をあとにした。

(完)

あとがき

こんにちは。ファンタジー大好き、皐月うしこです。「日常のなかに、ほんの少しの非日常を」届けられましたでしょうか。「本」と「願い」さえ描かれていれば、ジャンルも世界観もすべて自由という魅力的なテーマに、大好きを詰め込みました。1359ページは「ひとみごくう」からきています。これからも続いていく旅の果てで、彼らが愛にたどり着きますように。

プロムナードとは

遊歩・散歩を意味するプロムナード。「日常の中にほんの少しの非日常を」というコンセプトを元に、短く仕上げた物語たちのこと。皐月うしこオリジナルの短編小説置き場。

※文字数については各投稿サイトごとに異なる場合があります。
※読了時間については、1分あたり約750文字で計算しています。